〝大切なこと〟2014

   2014-1-1〜2014-12-1

2014年 12月1日



それぞれの課題

.



〇〇さんへ
今年はことさら紅葉が鮮やかですね。
お手紙ありがとうございます。
ほとんどがどこか似た者同士が意気投合して友達(親友)になったりするのだと思います。
見たところ違うようでもなにか引き合うものがあるのでしょうね。
支援ネットはさまざまな境遇の人が集まってきました。
私はあえてそこでの絆つくりを願ってきました。
境遇が違うと共感することも難しく、それぞれを理解するのに相当の努力と時間が必要だと思います。
それは地域での絆つくりも同じだと置き換えています。
だからこそ支援ネットの仲間づくりには意味があるのだと思うようにしています(支援ネットの集まりを続けていくのがくじけそうになったら・・・何度もくじけそうになるのです)。


恵まれた人の生まれ育った環境にはとてもついてはいけない私があります。それは私の課題です。
それぞれに、それぞれの課題があるのだと思います。
うわべだけの仲間づくりではなく、本当に仲間を仲間として受け入れるには互いがそれぞれの課題を成長の糧として捉え、向き合う強さが必要なのでしょうね。
ただ後期高齢者ともなると年齢が重すぎて自分と向き合うことは難しいと思います。
なので私たちの寛容さが求められるのでしょうね。


 来年も支援ネットをよろしくお願い致します。


2014年 11月1日



人の話を聴くということ、について

.

講師はこう言った。
『介護保険の中でできないサービスをどう生み出すか、創り出すかですね』
本当にその通りで、介護保険の中でできないサービスについて、
それでも必要なサービスの、そのニーズをどう満たしてゆくか、
とても大きなおおきな課題である。


先日の研修後、皆でお茶に入った先での会話である。
「利用者宅に来ていた傾聴ボランティアが利用者の気持ちをよけいにいらだたせたなんて、
 そんなこともあるよ」と訪問介護職員が口火を切った。
介護保険の中でできない話し相手のサービスを、ボランティアにと依頼したのだが、
うまくいかなかったという内容であった。
人の話を聴くということ、
私自身、本当に難しいと思っている。


最近になってほんの少し、
人の気持ちが幅をもってわかるような気がして、
「あの時、こんな風に思っていたけれど本当はこうなの
 かもしれないな」と、思えるようになってきた。


なんと気弱な、優柔不断な、頼りなくも見えるけれど、
人の話を聴くことが、
本当にできているのだろうかと真摯に思うほど、
言葉少なくなる。優しくなる。
そんな気がしている。


2014年 10月1日



親愛なる○○さんへ

.

私たち支援NETの志す目的は五周年フォーラムで語りました。
しかしそれは理想とされ、支援ネットの参加者でさえなかなか浸透しません。
私自身もしっかりした信念を持ち続けられている訳ではなく、いつも揺れ動いています。
ご承知の通り、今日までやれているのは支援NETを支えてくれている人達がいるからです。
五周年フォーラムで語った福祉コミュニティの創造は、
最近カタチを変え、ふれあいサロン、すこやかサロン、
他の地域のつながりに思いをのせたカフェなど等、
それらは行政からの仕掛けも手伝い、このところあちこちで見かけます。
しかし、これらは上からの政策で、
市民から立ち上がったものではないのでしょう?
人を入れる箱だけは出来上がっていきますが、
中身の市民の意識は?と問いたい思いです。
先日、〇〇さんとK小学校で催されているふれあいサロンに行ってきました。
役員さんたちの寄り合い場所?
 (そう思われるくらい手伝いの役員ばかり・・・)
○○さんは車椅子に乗ってもらって行ったけれど、
現場はノンバリアフリー。
一緒に行った人とお茶を飲んでお話しする・・・・。
これって本当に必要な人が入れるのかな・・・・
ここに来ている人は、どこにでも出かけられる人やない?
などと思ってしまいました。
これからいいものになっていくのかもしれません。
文句ばかりになってはいけませんね。
私たちがいいものにしていかなければなりませんね。


先日来ケアマネの更新研修で若い人に交じってカリキュラムをこなしていました。
研修の中身は厳しく講師も丁寧に指導してくれます。
でも・・・・・
中には大手有料老人ホームのケアマネも来ていました。
有料老人ホーム等の箱ものの多くは大手企業、利益追求です。
利益を出さないと給料払えないし、他企業との競争にも負けます。
でも・・・・
真摯に人の自律や尊厳を、
現場でどう支えるかそこのところに多くの人が思いを寄せないと、
福祉は間違った方向に行くような気がします。


ふれあいサロンも同じじゃないかとそう思うのです。

2014年 9月1日



満面の笑顔

.

手をふったその人は、満面の笑顔でした。


集中豪雨が続いた少しの晴れ間、地蔵盆がありました。
今年はご承知の通り自治会長なんです。
ほんまに大変、地蔵盆は特にですが・・・
何が大変というたら人の意見をまとめることですね。
でもひとつ改善しましたよ。
私たちのところは高齢者向けの催しがなかったのです。


地蔵盆の当番も高齢化しました。
私たちの町内も子供の数より70歳以上の人のほうが多い。
それじゃー今年は高齢者にも楽しいことを!と。
福引き、ビンゴゲーム・・・・
なんせ京都です。
あんまり変えたら出る釘打たれますやん!

お茶とおまんじゅうを来た人全部にお出ししました。
子供達はお菓子のセットです。
小さいお子さん連れの若いお母さんもご一緒に。
おいしいおまんじゅうとお茶とおしゃべりの時間です。
もうどこにも出て行けないという高齢者も、
お地蔵さんを介して皆と交わりました。


それでも出て来れない人たちがいます。
理由は何であれ・・・。
お家の前にお地蔵さんのテントを張られ、
その人にとっては長い騒々しい一日が始まります。
そのことに気づいてますか?
そこへおまんじゅうとお茶をお届けしました。


しかられるかと思いました。
おまんじゅうを添えて、
「やかましくしてすみません」・・・と、私。
返ってきたのは言葉のない「ありがとう」のうなずき。
次の日、大きく手を振る彼女がいました。
満面の笑顔のその人は、もうすぐ100歳に手が届くのです。

2014年 8月1日



名前を呼ばれないボランティア

.

支援学級の三校交流授業がありました。
ボランティア先の小学校でのことです。
地域の中学校と地域の小学校との交流です。
まず我が校の先生が紹介されました。
担任と副担任二人、そしてボランティアの私がいます。
担任の〇〇です。
副担任の〇〇先生です。
副担任の〇〇先生です。
3人が紹介されました。
あれっ、私は?・・・・・・


「K先生は?・・・・
  K先生は?・・・・」
施設に暮らす甘え下手な6年生の女生徒です。
私が呼ばれないのをおかしいと思ったのです。
担任の先生に訴えるように声が響きました。
胸が熱くなりました。
とりとめのないことを、とも思います。
以前もこのようなことがありました。


ボランティアを夏休みまでで退くことにしました。
体力的に無理があるのを理由にしました。









8月の大切なこと続き
 「きしょー」「おえー」の〇〇君は・・・・
                      (2013年6月12月大切なこと)


夏休みの始まる2日前に生徒たちと別れることになりました。
甘え方を知らない、ふだんは叩いたり、つねったりする女生徒が、
今日ばかりは私に「先生今日でお別れやね」と甘えてきます。
今まで見たことのない愛おしい眼差しです。
私に、それぞれの生徒たちがそれぞれのアピールの仕方をします。
また、それぞれの先生の「エール」の送り方があります。
担任の先生から、生徒たち、それから三人の先生からの手紙を頂きました。
それらは表紙をつけて丁寧に綴られており、涙と共に渡されました。
生徒の1人が泣きじゃくって私から離れられなくなりました。
生涯のうちでかけがえのない経験をしました。


あの「きしょー」「おえー」の◯◯君は、
「先生、今日でおわりやな!アーよかったな」なのです。
最後までこれか!・・・・とむなしくなります。
相変わらず一言、返したくなります。
このところ自分の無力さにつくづく思い知らされています。
その上、またもやこの言葉ですから・・・・
でも、です。
悪態のその言葉の裏には、今日もあの瞳の奥から「たすけて!」が聞こえます。
支援の必要な生徒たちの中には自分の精神と身体とを持て余し、
身の処し方、コミュニケ―ションの取り方に誤解を招いてしまいます。


また、大人達から受けた心ないことばをそのまま人に返すのでしょうか。
人に、傷つく言葉をシャワーのように浴びせたりもします。
その言葉を受けた私はそのまま反応していました。
しかし、それらを払拭して互いに近づくには時間と覚悟が必要です。
そして、それこそに互いの成長があります。


私たち支援者には大きな愛と忍耐と自分の弱さと向き合う、
そういった謙虚な気持ちが必要です。
私はこの貴重な経験を地域のさまざまな人たちに少しは伝えることができたら、
今度はそれが私の仕事です。
どんなかたちで返せるのか考えたいと思います。

2014年 7月18日



ママ友が高齢者になる

.

周年フォーラムでは個々人が地域で何ができるかを問いました。
地域での互いの関係性づくりをうわべだけでなく、本物の関係が築けたらと思いました。


私たち地域のママ友の子供達が、私たちの出会ったときよりも大人になって、
私たちママ友はもう高齢者の年齢に近づきました。
若い頃は子育てに精一杯でした。
地域の絆は子供を手掛かりに繋がっていました。
子供たちの手が離れると、
社会に出てみたくなる世間のママさん達とほぼ同じ思いで社会に出ました。
子育てが終わり、子供達は結婚して家から離れていきました。
そして、その後しばらくは孫育てを楽しみました。
そこらにある、ありきたりな幸せの図式です。
共働きで社会で活躍してきた女性は、定年になってからの地域デビューは男性と同じく新参者とされ、個人の力をより必要とします。
それぞれの選択で高齢に近くなった私たちは、今では親の介護と重ね合わせ、周りの後期高齢者のことが気にかかります。
もうすぐ私たちも行く道だと・・・・


しかし、人が成熟して高齢になっても人間の弱さは隠しきれないようです。
人の弱さは人を阻害し、その弱さが今度は人から阻害されることをよしとしないまでも、
そういったサイクルをたどるのかも知れないとふと思います。
一見恵まれた私たちの地域の人々は、高齢になっても元気なうちは旅行や趣味や生涯学習や、
フィットネスクラブなどでの健康作りに励みます。
しかし地域の問題には関わろうとしない。
今それではいけないよ、と地域の絆創りが叫ばれ、健康教室、ふれあいカフェなるものが生まれ、
そのなかで地域力を掘り起こそうとしています。
しかし本当に大切なことは、人それぞれが自分の弱さと向き合い、
次世代に残せるものを育てていかなければならないのだと思うのです。

2014年 6月26日



よい選択と気づきと

.

京都市の文化市民局の自治推進室から支援NETWORKの場に参加がありました。
ひさびさの行政機関からの参加ですが、
今は「歓迎!」という積極的な気持ちにはなれずにいました。


ただ、平成12年(2000年)介護保険が施行され、
地域福祉の必要性が高まり、そして地域福祉はさまざまな方法が試され、
ようやく市民にもその命題はなじんできたようです。
しかし、その命題の真意には届かない困難さへの行き詰まりが、私自身や支援NETの課題でもあり、
ひいては世間の課題でもあると気づき始めてから久しいです。
今回、自治推進室からの参加の依頼があり、
互いの打開策が開けたらという想いもあって、参加していただいたという経緯があります。


私のメール返信の言葉は本当にこれにつきるようで、
『私や共に場を創ってくれている仲間の時間と労力をムダにしないように、
  よい選択と、互いの気づきに希望を托したいと思います』


もう高齢者の年齢に近づきつつある私たちは、
次代に向けて活動できる残り少ない時間の中で、
よい選択をしていきたいのです。
そのためにも心を引き締めて仲間と向き合いたいと思うのです。

2014年 5月1日



ここみちゃん

.

中間休みのこと・・・・
「先生この間なんで泣いてたの?」
新一年生の女の子が私を見上げた。
その瞳に深い親しみを覚えた(見てたのか・・・)
生徒は私の手を握った。
私の担当するクラスの生徒に紹介されたここみちゃんは、
わけあって養護施設ぐらしなのだ。
「ここみちゃんって、いい名前やね」
と言ったとたんに、目頭が熱くなった。
ここしばらく結構しんどいことが多くて、
その子のかわいさが手伝って、
こみ上げてくるものがあった。


この子の両親はどういう訳があり、
ここみちゃんを手放さなければならなかったのだろうと、
思ったとたんに目頭が熱くなった。
こんなことぐらいで・・・と、
ぐっとこらえた。


みんな幸せになりたいね。

2014年 4月1日



遺産相続と自治会議と私の願い

.

大切な人と意思疎通がうまくいかない。
そんなことはないですか?
私の働く教育現場や介護現場では、
当たり前ですが対象者はものではなく、
介護の利用者や生徒達です。人です。
この時のコミュニケーション能力は、
『相手を心地良い気分にさせる』能力ではありません。
その場だけ自分や相手が望む関係を作るのでもありません。
互いに力を合わせて問題解決が行われていく。
そのようなもっと大きな問題を解決するための、
アプローチとしてとらえる。
そのことを先日ある研修で確認しました。


『コミュニケーション(communication)は、
 伝達、通信、交通、熱の伝達、病気の感染などなど(英和辞典より)、
 語源はラテン語の「共有する」communicare(コミュニカーレ)、
 メッセージをやりとりして共有する。』
いわゆるコミュニケーションは『共有する』ということです。
では、共有することの目的や役割はナニ?
『互いの気持ちや思いの通い合い』ですよね。
そしてそこから生まれる『互いの成長』にあります。
要するにコミュニケーションの成立は、
人と人との間で意思の疎通が行われ、
心や気持ちの通い合いが生まれ、
そして互いに理解し合うことができる。
ここまできてやっと、
コミュニケ−ションが成立したということになります。
そして一定期間を経て、互いの成長が育まれる。
そんなコミュニケーションがどこにでも誰にでもできたらいいですね。

『心や気持ちの通い合いから生まれる互いの成長』
ということについて、私たちの廻りにどれほど、
こころや気持ちの通い合いがあるでしょう。
少なくとも大切であるはずの人たちには、
『互いの気持ちや思い』が、
つじつま合わせや、その場しのぎのものではなくて、
互いに末永く成長し合う関係が育める、
そんなコミュニケーションにしたいと願います。


コミュニケーションをそういう風に考えると、
親子でも、夫婦でも、友人でも、兄弟でも、お隣さんにでも、
大切なことを成し遂げようとする仕事仲間においても、
みんな、みんな同じなのだろうと思います。
一時、気まずい思いがあったとしても、
見えにくい目的のためであったとしても、
成長し合う関係を育む、それこそが、
生きたコミュニケーションなのだろうと思います。
なかなか難しいです。それが実感です。


今、高齢者の孤立が話題になります。
東北の被災地でも孤独が課題です。
みんなみんな、根っこは同じに違いありません。
なぜ孤独になるのか、
なぜ、意思疎通がうまくいかないか、
双方の価値観の相違にあることが、大きく一因します。
ならば価値観が違ったらコミュニケーションは成立しないのか、
それは悲しいことですよね。
先日友人から遺族の遺産相続の争奪戦の話を聞いたところです。
これも根っこは同じのように思うのです。


今期、自治会長をさせて頂くことになりました。
先ほど、学区の世話人さんが書類を持ってこられました。
顔合わせの日程の書類でした。
「いろいろ意見言わせてくださいね」と私。
「前向きの意見ならいいですが・・・
 後ろ向きの意見だと会議が長引くだけなので・・・
 個人的になんぼでも聴きますから・・・」
ズてっ!!!
あーここでも互いの意思疎通は叶わないのでしょうか。

2014年 3月1日



95歳のつぶやき

.

95歳の老婦人はつぶやいた
「人の心はどうにもならへん」
「真心もって介護することは大切だけれど」
「心は見えない」
「そうだよね」と私


仕事に介護を選んだ。
そこには心ある介護という課題があった。
正直「私には無理」と思うときもあった。
いつも「心ある介護士」の呪縛から、
逃げられない自分がいた。


「人の心はどうにもならへん」
彼女の言葉がストーンと心に落ちた。
だからこそ『プロの介護士』を目指そう。
だからこそやさしさで誤魔化さない
プロのアシストになろう。

2014年 2月1日



親愛なる友人へ

.

8ヶ月にわたる研修最後の課題は、
事後課題と研修終了課題の2つがありました。
まだまだこの研修は最後まできついです。
毎回、充実した研修でしたが、
最終回はそれぞれの課題発表があって、
参加者の素顔がみられたというか、
とても親しい気持ちになりました。


介護の取り組み方が私と似ていて、
こういう人はしんどい思いをするだろうなーと思いました。
彼女は課題発表で、泣きながら体験を語っていました。
まだ若いのでこれからの人です。
いまから利用者宅に訪問があるからと、走って帰って行きました。
小さい子どもがいるのにと、可愛そうになりました。


利用者とうまく関わるには、水商売的な要素も必要なのかと、
研修会場でふと思いました。
目の前で水商売的要素をかもしながら、質の高い仕事をしている彼女たちに、
思った通りにそのことを言うと、ふかく頷いてくれました。
私から見ると、彼女たちはとてもうまく問題ケースに対処しています。
利用者が納得のいくように対応します。
実に感心です。尊敬します。
足早に帰っていった彼女を見ていて、そう思いました。

介護福祉士の資格をもつデイサービスの看護士さんもいました。
「私が頼りないから、介護士たちが助けてくれるの」と言います。
事業所の所長は、彼女がノリノリで得意とするタンバリンを取り上げて、看護士らしくしろとばかりに血圧計を渡すそうです。
彼女はそれを柔和に淡々と話します。
何ともほっこりした気分になりました。
こんな人も居ていいなぁと思いました。


医院のサービス提供責任者が語りました。
障害を持つ利用者のところに入った介護士が、
「部屋の模様替えまでしてしまった」と嘆いていました。
私は、模様替えを援助に加えられないのかと、伝えました。
私の課題発表の時、その彼女が一番に挙手してくれました。
利用者さんと介護士さんの思いに寄り添おうとしてくれたようです。
元気の出る、とても嬉しい感想でした。


歳を重ねた(若くない)介護士へのクレームは、
男性の利用者にとても多いそうです。
見るからに若い人より仕事はよくできているのに、
なんやかんやとクレームを言ってくるそうです。
そりゃー若い方がいいに決まっているか?・・・
歳を重ねるということはそういうこともあるのだよね。


日曜の夕方なのに、利用者が待っているからと、
焦って帰っていった彼女になぜか自分を重ねていました。
まだ若い彼女は、これからどういう歳の重ね方をするのだろうと、
ふと思います。
歳を重ねた今の私は、少しは成長したでしょう。
人は、人によって育つって本当だよね。
今回も、積み重ねた多くのことは人からもらいました。


「息子もニート、主人もニートなんです」と、優しい老健の職員。
利用者を守ろうとした体験を、涙をこらえて話した若い彼女。
タンバリンを取り上げられた看護士さん。
私のアドバイスに心を開いてくれたサービス提供責任者。
利用者を大切に、ヘルパーも大切にと、特級の水商売的要素をもつ人。
介護と真摯に向き合うそれぞれのあり方・・・
どのあり方も「いいなー」「好きだなー」と嬉しくなりました。

2014年 元旦



大切なこと

.

あけましておめでとうございます。
昨年蒔いた種が小さな苗となり、
寒風にめげないで少しずつ成長しています。
矢車草、河原撫子、ビオラ、スイトピー、わすれな草、金魚草
春には花いっぱいですよ。




『その旗を振ったのは町内会の奥さん達』


義母は幼子が7歳の時、旅立った。
それは戦後ようやく世間が落ち着いてきたころ。
子を産んでまもなく肺結核となり、
お乳がやれなくて幼子はもらい乳で育った。
幼子は後年、父親からその話を聞いた。


ご近所のMさんNさんIさんの話。
私も知る彼女らは最近まで存命だった。
義母はその方達と共に「戦争反対」の旗を振った。
義母は先頭に立って反戦に願いを込めた。
その義母を憲兵が拘置所に連れていった。
そんな話を最近になってから聞いた。
白髪のおじいさんとなった幼子が聞かせてくれた。


戦争反対の旗を振り、拘置所に連れて行かれる、
そんなことは今はない平和な日本だけれど、
ご近所さんが同じ目的に突き動かされた。
そこには真実があった。
そのご近所さん達がとても愛おしい。
後年、幼子は亡き母の思いを私が主催する
支援NETに重ねている。