〝大切なこと〟2008

   2008-1-1〜2008-12-1

 

20081201 次代に残せる確かなもの・・・





 芦屋の娘の家の近くのマンションに行くことになりました・・・」と、老婦人は目を潤わせてこう言いました。
「このあいだマンションに行ってみて、やっぱり辞めといたらよかった-----と、いま後悔しているのですよ。仲良くしていただいているこの町内の人たちと一緒にやっていけなかったのかと・・・」
 彼女はこの春、仲のよかったご主人を亡くされたばかりでした。


 私がこの町に嫁いで来て35年になります。その頃、いまの私と同じ年齢くらいの人たちが現在、高齢となっています。私たちもそろそろ準備段階とでも言いましょうか、「老」という言葉が他人事ではないように感じる年齢に入ってきました。ここにきて、私たちの先輩は高齢になっても住みやすい、住み続けられる地域社会をはたしてつくってきたのだろうか・・・と思います。また、そうさせてきた社会の背景も見逃せません。私たちは、果たして介護が必要になっても住み慣れたこの地に生き続けることができるでしょうか。
 地域には様々な人が暮らしています。高齢の人。障害をもっている人。心を病んでいる人。子育てに大変なママ。介護で疲れている人。忙しくてゆとりのない人。悠々自適の人。毎日充実している自分は健常だと思っている人・・・次代を創っているのは、例外なく私たちなのです。


 政治や制度はなんやかんや言いながらも35年前とは雲泥の差です。それにも関わらず、私たちは何かを見落としてきたのではないでしょうか。今一度振り返ってみることが大切だと思います。子や孫たちの世代に私たちが残せるものを問い続けたいと思います。


 来年も支援ネットの果たす役割は大きいです。
 それは私たちに、誰もが通る介護という課題を見つめさせてくれること。もう一つは実践としてのコミュニティでの一人一人の果たすべき仕事に気づかせてくれることにあります。人、一人一人の気づきと行動が次代に確かなものへとつないでくれるものと信じてやみません。
 私たちの掲げる「ともに暮らしを創る」とは、そんな実存的な活動にほかなりません。

20081101 二人の友人

 友人が言いました。
 本当に困っている人の真の助けになるのは簡単なようで難しいと・・・・
「そうかなあ!」以前はそう思うか、さもわかったように「本当にそう!」なんて答えていたと思います。人生半ばを過ぎた今、ようやくわかってきたようです。


 もうひとりの友人が言いました。本当に困ったときの助けにならないのは真の友人ではないと・・・・・
「本当にそう!」と思います。「そうやけど・・・・」と、答えを出せないでいる自分がいます。


 何よりもまず、いま人と人との関係を大事にすること。今日は精いっぱいそのことに向き合おうと思います。

20081001 朝のテレビ小説『瞳』、観ましたか?

 前回の『ちりとてちん』、そして今回の『瞳』は、地域社会を基盤とした家族、友人、住民、職、それらの関係性をテーマにしていました。きょう(9月24日放送)の放送は、バブル経済のあおりを受けて長いあいだ家族との関係を絶っていた主人公「瞳」の父親が、お世話になった人たちとの関係の大切さをつよい言葉で語っていました。そして絶えていた家族との関係を取り戻そうとがんばる姿に、大切なことを気づかされたのは私だけではないでしょう。関係は育てるものだと・・・・・


 先日、私たちは介護研究会で「認知症を理解する」を共有しました。認知症となった人に、家族、友人、地域住民としての私たちはどのような対応ができるか・・・です。
 もちろん認知症になってしまった人の気持ちを大事にすることは言うまでもありません。でもそれは認知症になった人との関係を大切に思える家族、友人、そして地域住民がそれまで育んできた関係性があってこそなんでしょう。
 そう考えると、とても私なんかはまだまだだなぁーと思ってしまいます。今からでも遅くはないと思うのですが、すぐに「我」が出てしまうのです。


 人と人との関係はむずかしい。けれどそれは相互に行き交い育ち合うもの・・・だからこそやりがいがあるともいえます。もう一つ、それらを支える地域住民の意識、地域の環境 ----- それを創っていこうと意識しなければ実現し得ない時代なのです。・・・・・『瞳』から学んだことです。

20080901 いまだからみえてくるもの

 いまだからみえてくるものがあるような気がします。
 私がヘルパーになって2年めの頃、この「大切なこと」にも書いた〝みそ汁へのこだわり〟(2005.7.1)・・・・・進行性筋萎縮症で単身、寝たきり、の彼女を支えられなかったあのとき、どう対処すればよかったのかと・・・・・
 人の暮らしを支える賃金労働としてのヘルパーの仕事、私自身のライフワークとしての「くらしの支援NETWORK」の働き、もちろんその土台には地域、家族、友人などがあります。そして社会福祉を展望した友人との語らい、大学での学び等があります。そこからあの時のことが、今だからこそ見えてくるものがあるように思います。あれから制度は大きく変わってきましたが、根本によこたわっていた問題は今も昔も変わらないように思えます。


 ミルトン・メイヤロフは著書『ケアの本質』の中で、ケアの意味を「成長し合う関係」「他者の成長をたすけることとしてのケア」としています。そしてそれを親と子の関系、友人、教師と生徒、そして絵や曲などの作品、そして場との関係を語っています。もちろん介護関係もです。介護関係の中で『成長し合う関係』を私の介護関係の中に置いてみます。難しいケースほど対象者の暮らしを創る、このことが大切になるように思います。
 それには個々のプロセスの『時間』、キーパーソンになる『人』の問題があります。対象者の成長し合う関係を支える人として、永く対象者と関わる人として、ケアマネジャーが、その役を担えないものかと考えます。そして『場』の関係として、くらしの支援NETWORKが成長するようはたらきかけてゆきたいと思っています。

20080801 いい湯だな! ハハン

 82歳で寝たきりだったその女性のお宅は、風呂場がせますぎて湯船には入れませんでした。そこで介護者である85歳の夫が考え出したのは、車いすの座席にしつらえる簡易浴槽でした。それは車いすの座席の内側の左右と背中を板で囲い、脚の方はひざの所でくりぬいた板を最後にはめこんで完成です。
 看護師と私は、その浴槽に入った夫人を風呂場へ移動します。しかしお湯を入れても入れても、とたんにお湯は流れていきます。それでも・・・ひととき「♪♪ いい湯だな! ハハン ♪♪」を味わわせたいとの夫の思いをかなえたくて、私たちは清々しい汗を流しました。住まいのあちらこちらには、知的に重度の障害をもつひとり息子と三人の暮らしの工夫がされていました。
 その頃だってもっと楽な介護方法はありました。しかしあえて看護師や介護士が熱い思いと人力で生活者を支えていました。その意味はとても深いと、いま懐かしく思います。
 現在は介護にいろいろな制度が使えるようになりました。そして自分の暮らしの中から創り出されていた生活スタイルは、パッケージ化された介護商品に暮らしを合わせていく-----、そのことに何か釈然としないものを感じているのは私だけでしょうか。
『真の豊かさとは・・・』という文庫本が目にとまります。介護の世界も豊かさを求めてきた結果、大切なものを見失ってきたように感じています。


 今日もまた介護ヘルパーが辞めたと友人が言っています。
 私が熱い思いで介護ヘルパーに志願したのは15年前の1993年でした。

20080701
 私のライフ・ヒストリー(生活史)からライフ・スタイル(生き方)へ

 私は高校2年の時に部落差別を知りました。そして部落研究クラブに入部。私には、部落差別に限らず何が正しいのか自分なりに判断して、それを態度で現そうとする姿勢がありました。その頃すでに今に通じるなにかがあったことを感じます。
 就職、結婚、そして町内会、母となって幼稚園、小学校のPTA、そして福祉の仕事、何事においてもおとな達のいわゆる“おとな”としての言動には何か素直になれない、そんな私がいました。


 今、くらしの支援NETWORKの活動を支えてくれている人のなかには、結婚して30年余ずっと私を見ていてくれたごく近くに住む友人たちがいます。福祉の仕事で出会った講師仲間がいます。そして支援NETWORKの思いを支えてくれている人たちがいます。
 人それぞれ、支援NETWORKに集う生き方は、その人のライフヒストリー(生活史)につながりがあります。それをプラスにするもマイナスにするもその人自身の態度でしかないと、コブクロの『蕾』を口ずさみながら・・・私はわたしに向かって、聴こえない“がんばれ”を言っています。

20080601 ひたすら心をすませる

 ゴールデンウイーク明けの清々しい青空の日、莎原茜さんの個展の会場にうかがいました。彼女を囲んで食事を共にし、何よりも作品の深い意味に心を寄せる貴重な時間を持つことができました。
 心身に重度の障害を持つわが子と接する中で描かれたその一編の言葉、見つめる目に耐えながら ひたすら心をすませるこの意味するところは介護にとどまらず、私たちに大切なことを思い出させてくれています。


 すぐに答えを求める忙しさのなかで、「ひたすら心をすませる」自分を忘れかけているのは私だけでしょうか?
 私たちが集うこの〝くらしの支援NETWORK〟にあっても「心をすませて」人に接したいとそう思いました。


 今、支援NETWORKは6年目を歩いています。この素晴らしいホームページの裏には多くの人の支えがあります。私はその支えを頼りに10年を目指して、出会う人それぞれに「心を清ませて・・・」、そうありたいと願っています。

20080501 いま問われていること

 重度の知的に障害を持つ我が子が「最近いきいきしている」という話をその父親がしてくれました。


 そのわけは「デイサービス施設を替わったから」と言うのです。施設の対応が、いわゆる〝福祉サービスの対象者〟から自らが施設の「くらしを創る担い手」となったというのです。そこでの役割意識が〝生き生き〟の源となったということです。


 3月のくらしの支援NETWORKの「介護研究会」には、ヘルペス脳炎の後遺症で記憶に障害をもった鈴木悠紀子さんに来ていただきました。彼女の得意とする紙芝居に私たちは魅了されました。私たちのフィードバックは、瞬時の記憶しかもたない彼女の瞳を輝かせました。まさにこの日のこの時間は、悠紀子さんと私たちで共に創ることができたのでした。


 人が、福祉の対象者と提供者という立場を超えて、くらしを共に創るその担い手となること、そのパラダイムの変換が、いま問われています。

20080401 痛ましい知らせ

 近所の主婦が自殺した。
 これまでそのようなことを人ごとにしていたのに気づく。
 どうして救えなかったのかと思う。なにか力になれなかったのかと思う。とはいえ、わたしになにができたろう?


 マスコミは毎日痛ましい事件を報じている。
 悲しみ、苦しみ、寂しさ、不安、多くの人が抱えている。
 それでも何事もないように暮らしている。
 多くの人はそうである。
 人が元気になるってどんなことかと考える。

20080301 支援ネットごっこ

 拝啓、毎日寒い日が続きます。おげんきですか?
 4歳の幼稚園児からのメッセージを伝えたくてお便りしました。
 くらしの支援NETWORKの毎月の第三水曜日のことを、彼は『みなさんの日』と言っています。その日がいつも『みなさん、今日は・・・』で始まることからそれを聞き覚えたのでしょう。


 月一回ふつうの家が支援ネットの場となる居間で、このあいだ「支援ネットごっこ」が始まりました。まず座布団を敷き詰めて、その前の方のまん中あたりに車いす席があるのです。彼は2歳になる弟の“かたかた”(歩行器)をもってきて、座布団の代わりにその“かたかた”を置きました。
 あなたが見たらきっと喜ぶだろう・・・と微笑ましい気持ちにさせてくれる、幼児たちによるごく自然な「支援ネットごっこ」です。すべてを消費化してしまう忙しい世の中にあって、ときどき世間の波にさらわれそうになります。
 支援ネットの私たちのとり組みの一つひとつが、新たな公共性としての意味をもつ『生きる』、『活かす』ことのできるほんものの風を吹かせたいといつも願っています。そのほんのそよ風を、幼稚園児たちに発見したような、そんな気がしたことをお知らせします。                            敬具

20080201 はじめてのお焼香

 大切な友人の実父の訃報を受けたのは一月の半ばでした。
 知らせてくれたのは頸髄損傷の障害をもつ支援ネットの仲間から。
 彼らは中学、高校でともにハンドボールクラブで汗を流したもの同士。18歳のときの交通事故で6年間寝たきりの入院生活をよぎなくされ、それから30年余り、彼らの交流は途絶えていましたが、たがいが支援ネットで力を出し合うようになって新しい関係が育まれているところでした。
 お葬式に誘ったのは私からです。障害をもつ人にとって、こういったセレモニーは足手まといになるのでは・・・と思うのでしょうか。彼は式に出るのを遠慮していました。正直、喪の正装をし、車いすを押しての同行は私にとっても大変です。本人はそこまでして・・・と躊躇してしまいます。
 しかし、ここで人ごとでなく考えてみたいと思います。
 このような事が重なって、社会経験、社会参加、人間関係が徐々に細く狭くなっていきます。お別れの会館は最近ではバリアフリーが主流です。問題は、経験不足からくる作法などへの不安、人の心(態度)から感じる〝世話をかけてまで・・・〟との思い。私もそういう思いをさせてしまっているものとして反省しなければなりません。


 はじめてのお焼香を経験した友人と会館を出てきたとき、冬陽の射す青空に雪がちらついていました。

20080101 ミナミちゃんの才能

 2008年の今年もターシャ・テューダーのカレンダーをかけました。日々の忙しさから本当の豊かさどころか、モノやお金でごまかしている自分に気づかねばなりません。ターシャからも本当の豊かさを学びたいと思います。


 血縁に当たる4歳の男の子に多動性があり、コミュニケーションに少し障害があって発達障害と告げられました。幼稚園での様子から「異質なものとの共存こそがこれからのコミュニティには必要」という、昨年手にした本のメッセージを思い出します。
 同じクラスのミナミちゃんは、4歳でありながら人それぞれの個性を感じる才能があるようです。「ショウタ君はこれが好き」、「サクラちゃんはこうしたらいやがる」、「ダイ君はこれが得意」、「リョウタ君はみんなの道具を人にゆずれない」というふうに・・・・・そして彼はミナミちゃんの言うことは聞くそうです。4歳にして先生も顔負けのみんなの輪をつくる、そこでの様子をのぞいてみたいですよね。
 まさに異質なものとの共存を教えてくれています。
 人が友だちの輪を創るベースはいろいろです。
 そして何を異質かとするところも問題でしょうが、あえてそれと向き合っていきたいと思います。
 もしかするとターシャにとってそんなことはすべて超越した世界なのかも知れません。

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