〝大切なこと〟2006

   2006-1-1〜2006-12-1

 

20061201 力づけられる関係

 今年も、くらしの支援NETWORKのこの場で多くの人生の出会いがありました。おこがましいけれど主催者である私にとって毎月1回のこの出会いの場を創ることには、強い思い入れがあります。
 友人たちと共に創る私の人生の仕事として、確かな手応えを感じています。
 くる年もまた、くらしの支援NETWORKに集う人と人との出会いから、それぞれの場で、人がまた人へと力づけることのできるよい関係が創られますよう。そしてその関係をとおしてそれぞれの人生が前に開かれたものへと繋がりますよう、たがいに想いを注ぎたいと願うのです。
 ここにくらしの支援NETWORKの深い想いがあります。
 来年もまたよろしくお願いいたします。

20061101 大仏様のウインク

 秋晴れの日、幼い頃の懐かしい若草山を背に久々に大仏様に会ってきました。
 この「車いすを楽しむ」は毎年秋の恒例の行事です。参加者一同にこみ上げる充実感をもたらしてくださったのは、きっと大仏様のご褒美だったのでしょう。だからタイトルが「大仏様のウインク」なのです。
 この日、80歳の高齢の女性が、一人では外出できない高齢の友人を連れて来られました。
 お連れになったご本人もときどき車いすに助けられての介助ぶり。お二人は、友人と共に見られた大仏様の感動を、終始溢れんばかりの笑顔で、私達に感謝の気持ちとして返してくださいました。そんな彼女たちを見て参加者は、その数倍もの嬉しい気持ちになれました。
 次もまたよい企画を共に創りたいと心が弾みます。


 障害をもつ青年(?)は、毎回、写真やビデオで思い出を残してくれています。その記録は時に介護研究会の学習材料となっています。映像に残る私たちの確かな足跡は、いつかそれを視る人たちが積み重ねてきた<大切なこと>の確かさを再確認させてくれるアルバムとなります。前に進むにくじけそうになったとき、それはきっとまた頑張ろうと元気をくれることでしょう。


 先日、映画『地下鉄=メトロ=に乗って』を視聴する機会がありました。人それぞれの過去の物語は人に影響を与えながらその人の現在を創り、未来を創ります。
 人は自分に課せられた人生を精一杯生きるほかないけれど、人それぞれ人の心の襞は尊ばねばならないと教えられました。


[くらしの支援ネット]は来年秋に5周年を迎えます。
 人それぞれの暮らしは、確かに人と影響し合いながら創られていきます。人の人生を尊重し合いながら、前に開かれた人生に向かって、その人生をひるむことなく築いていく、その発信地であることを5周年の目標にしたいと思います。

20061001 高水準な介護のこころとは

 このほど「一人でも多くの高齢者に満足される高品質の介護サービス」を理念とするワタミ株式会社とソニー生命保険株式会社との業務提携が基本合意された。ワタミといえば前々から飲食業からの介護進出のその手腕に関心があった。
 こんなところで働いたら高齢者福祉に貢献しているという気持ちになるのだろうかと思っていた。やはり入居者も働く人もそこの環境は大切だといえる。高水準な介護のこころも働く環境に大いに左右されるだろう。
 一方のソニー生命は「ひとのやらないことに挑戦し社会に貢献する」というソニースピリットのもと、コンサルティングによるオーダーメイドの生命保険をとどける。お客様の人生とともに歩むことで提供できる価値の充実に取り組んでいるという。
 映像によると最重度の高齢者、障害者にもなるほど高品質な入浴設備、快適な『個を尊重』した浴室が準備されていた。
 介護保険には多くは望めない、ならば民間保険ということになる。
 しかしここまでの設備、さぞかし高額の保険料なのだろう。私は今からソニー生命に加入して高水準介護に期待するにはもう遅い年齢だ。
 でも、ちょっと待って!
 これってまたまた豊かさ(高水準介護設備、高水準介護こころ)を求めての競争的な消費欲求の心理なのではないの? 若いときから民間保険で準備をして、高水準介護を獲得する・・・・・
 しかし、思うように職に就けない人の多い現在の労働市場で、高齢になっても自己責任とはあまりにも厳しすぎる。格差は死ぬまで広がるばかりなのだろうか?
 人々がお金と引き替えの二次的価値の選択からは本物の人と人との関係は生まれない、と気がつくのにはまだまだ先のことだろうか? 私こそ、お金で買う高水準の介護施設へのいざないに幻惑されそうになっていることを知らなければならない。
 なんとか介護保険を、皆がその財源を大切に使い、充実したものに育てていけないものなのだろうか。支援NETが「いまできること」、それは、人と人との関係を大切に育てることなのだろう。

20060901 ほんものの穂波

 まだ青いけれど豊かに実った稲穂が風に揺れる季節になった。たおやかな穂波が、何ともいえない癒しを与えてくれる。田植えのときはほんの小さな苗だったのに・・・


 いま『ほんとうに大切な事は?』を見失っているような気がする。先日、コミュニティを育てる研究会に参加して『ここでもそうだ』と思った。『初めの目的は何だったのだろう』と首を傾げた。ほんものを見つめる眼を失ったまま、その上に何を積み重ねても実態は変わらない、と真摯に受けとめないといけないのではないかと感じた。
 日本の福祉を思うとき、今ある現象だけを捉えてカタチだけをよくしようとしてはいないだろうか。制度が良くなっても、ほんとうに大切なものを見失っていてはなかなかほんものにはならないのだと思えてくる。
 それは支援NETも私自身も例外ではない。


 支援NETの大きな役割は、いま、人と人とが創り出してゆく関係の接着剤として、そしてそれを自分のものとして捉えている人たちによって、ほんものを築こうとしているのだと思う。
 支援NETの活動を、その苗がしっかりと根づくように、ほんものを見つめる眼を失わないで育てていきたい。もっと先で振り返ったとき、『ほんものが育ったね』と、たおやかな穂波をながめながら言える日を楽しみにして・・・・・

20060801 ある高校生の挑戦

 この度、障害のある高校生に3級ヘルパー取得の指導に当たりました。授業がつらくて途中でスクワットをやりだす生徒がいたり、介護の専門用語の理解が私の説明のまずさも手伝って退屈なものであったりしたけれど、それでもようやく実習まで生徒たちは頑張ってくれました。
 生徒たちの熱心さ、技術習得力は健常者に引けをとりません。その中の一人を介護現場にと、面接に応えていただける事業所がありました。


 面接結果を前にこの文章を書いていますが、一人の生徒が2級ヘルパーの資格を得て介護福祉士に・・・と夢を膨らませています。夢に向かって私も小さな力になれたことが、私の夢となり明日への力となっています。
 これから先つらい事もいっぱいあるだろうけれど、たくさんの人に助けてもらいながら、そのたくさんの人にもよい影響を与え、夢を叶えてもらいたいと思っています。


 この一件は支援ネットのまさに人間ネットワークがなし得たことだと、関係協力者には感謝の気持ちでいっぱいです。今後、彼女が自分の可能性を充分発揮するよう努力し、周りの人たちとよい関係を創り出していってくれることを願ってやみません。


 健常な私たちができることは、障害のある彼らが自分の能力を社会に還元したいと思って努力する、それが報われるような社会にしていくことだと、心に留めるよい機会を彼女からもらいました。梅雨明けの空を見上げながら、私は彼らと共に育つ事ができたことを感じています。
 ありがとうございました。

20060701 向き合わなければならない事

 介護保険法改正や今後の障害者自立支援法との統合にむけて、福祉は大きな転換期に来ています。私の所属しているある研究会でも『真の利用者本位の福祉』に向けてみんな頭をひねっています。そもそも介護保険は高齢化社会への政策として介護の社会化を謳ったものでした。そこには『自立支援』が目的としてあげられています。


 利用者は他から言われるから自立するのではなく、内発的に自立することと、援助者が利用者の内発的に発する『・・・したい。その思いを支える福祉として』今一度原点にふり返って、みんなが強く意識しなければならないと実感しています。
 そこの核心を抜きにして介護保険制度の不備を箇条書きにすることだけに終わってしまっていては、福祉は良くならないと誰もが気がついているところか、と考えます。


 ではどうすれば良いのでしょうか?
 一市民として、制度・政策・福祉に実践的にたずさわる人への期待は数多くあります。それへのアプローチもさることながら、要介護者となっても『私の暮らしはこうありたい』と、思いの発せられる自分を育てること、またそれに関連して家族・地域・友人とのよい関係を自らが主体的に創っていくことが大切なのは多くの人が理屈ではわかっていることなのだと思います。


 けれどそれを本当に実現するのは難しい。
 自分と対象とがしっかり向き合っていかなければならないから、でしょうか?
 私にはこの向き合わなければならない問題が山とあります。だからこそ、これからの人生、意味があるのだと自らを励まして、自分をよろこばす楽しいことも育てながら、この難しい課題から逃げないでいきたいと思っています。

20060601 ミポリンと メイヤロフの言葉

 高齢者や障害者は支援される人。健常者は高齢者や障害者を支援する人。
 こんな図式が普通に思い描けると思います。
 だからこそ支援ネットのこの場が、障害者や高齢者や健常者の区別なく、一人一人の役割で創られること、高齢者や障害をもつ人が援助する側になることもあると、またそうなるように願っていることを、今いちど語っておきたいと思います。
 2歳の頃に『急性リンパ性白血病』を告げられ、12歳から脳腫瘍と戦いながら描きつづけた絵手紙で、多くの人を力ずけたミポリンこと今は亡き岡田美穂さんは両親からあふれんばかりの愛情をうけていました。ミポリンと家族の育てた多くの絵手紙から感じとれるその関係は、互いに育てられるということを物語りながら、その場にとどまることなく、まわりへも広がっていきます。
 先月紹介しましたM.メイヤロフは、『他者の成長を助けることとしてのケアー』のなかで、『ケアーすることによって自らも成長していく』と語っています。支援ネットのこの場をケアーの対象ととらえると、まさに役割を担おうとしている人たちのエネルギーがこの場を育てているといえます。また、そのことでそれぞれが成長しているようです。
 もう一つ、支援NETには願いがあります。
 わかりやすくいいますと、ケアーする人とその対象との関係(家族としての関係、介護の仕事をとおしての関係、地域の住民としての関係、友人としての関係)が、よいものに育つよう学び合いたいと願っています。それらのよい関係は、今から創られるものだと、親孝行もままならない私が笑われるだろうなぁと思いながらこれを書いています。

20060501 M.メイヤロフの言葉

 昨年、高校生の家庭科の授業で、家庭介護を介護技術も含めてお話しする幸運な機会を与えられました。未来ある彼ら彼女らの貴重な時間に応えるべく私もともに学ぶことができました。
 そして今年も高校生たちと会えることになり、心新たに講義の準備を始めているところです。
 先日、介護保険の改定に伴って大幅に改訂された訪問介護員養成研修テキストを手にしました。福祉の援助とは、とその中に「一人の人格をケアするとは、もっとも深い意味でその人が成長すること、自己実現することを助けることである」とM.メイヤロフの言葉を引用しています。支援者は、人が成長することの支え手であり、支援者もまた、ともに成長するという深い意味があります。福祉に限らず、人と人の関係は、おそらくこの相互信頼とその過程で深まり質的に変っていく関係をとおして友情が成熟していくように成長するのでしょう。
 高校生と講師の私との関係、支援ネットで出会った人と人との関係、支援ネットのこの場とその存在を支えようとする場と人との関係、それらが互いに成長し合えるような関係を築いていきたいものです。
 M.メイヤロフの言葉との出会いは、今回の高校生たちの出会いが導いてくれています。ともに成長できる人と人との関係を大切に育てたい・・・と心にかけながら、今、家庭介護のレジメ作成に取り組んでいます。

20060401 博士の愛した数式

「博士は教えるだけの人ではなかった。自分の知らない事柄に対しては謙虚であり、マイナス1の平方根に負けないくらい遠慮深かった」-----とは『博士の愛した数式』著者小川洋子の一節です。
 博士は交通事故で脳に障害を負い、彼の記憶は80分しか持ちませんでした。そして家政婦紹介所から博士の家に派遣された彼女は家事のプロとしての誇りを持っていました。
 物語は、お世話する、されるという関係でなく、雇う、雇われるという関係でも無いのです。互いに互いの暮らしを尊重し合う人と人との関係が博士と家政婦親子とで長い年月をかけて築かれていきます。
 数学博士の彼は数式をとても愛していました。博士の幸福は計算の難しさに比例するものではなく、どんな単純な計算であっても、その正しさを分かち合えることが、それを共有するものの喜びであったようです。
 先日、こんな話しを聞きました。訪問介護員が介護保険対象者に福祉機器を利用するように推し勧めるように事業者から言われていると言います。もちろん少数の事業者に限ったことと思いますが、事業者も介護保険対象者も万々歳というわけです。
 しかしこれで良い介護関係が築けるのだろうか、とは私だけの思いでしょうか? 制度をいかにうまく使うか、というだけの意識のなかで良い介護関係は築かれていくでしょうか。博士の喜びと重ね合わせて言うならば、暮らしを創ることを分かち合えることが、それを共有する私たちの喜びでありたいと支援NETは伝えています。

20060301 たんぽぽ

 たんぽぽとは何とも温かなイメージを漂わせてくれます。それでいてしっかり地面に根付いています。一期一会で巡り会った人と人とが、このような温かな関係が築けたらとは私だけの想いではないでしょう。
 先日、現職の理学療法士と話す機会がありました。医療保険、介護保険の締めつけで当事者と効率的な対応で対処していかないと小さな病院は生き残っていけないとのこと。部下を評価するときも効率的に処理できる能力を善とする視点で評価されるといいます。小さな病院だけでなく、医療や福祉の現場では同じような締めつけで当事者本意のよりよい看護や介護なんて空言でしかなかったのかと、うんざりさせられる話をよく耳にします。すると事業者の効率的な対応に素直に応じていける人たちがよい患者や利用者とされるのでしょうか? 否それはちがう。公共の利益を考えると、効率的に対応する・・・ことは当事者にとってマイナス面ばかりとは思えません。ただ大切なのは、当事者自身が考え、創り出す、当事者主体の効率性でなければならないと思うのです。効率の主体の在りかをはき違えると当事者は物化してしまうでしょう。当事者主体の効率のよい医療、看護、介護、それを引き出すにはかなり高度な専門性が問われることになります。
 また、日本人にとって苦手とされる当事者自身の自律性の質も問われることになります。私達もより確かな専門性を磨くこと、そして当事者としての自律心を私たち自身がしっかり養い根付かせること、厳しい社会にあって課題は山積みです。社会を変えることは私たちが変わることでもあり、微力な私たちにも何かできるはず、と思うのです。
 この度、京都新聞社から大スクリーンとプロジェクターをいただきました。温かなたんぽぽも映し出して、みなさんと共にこれからもさらに学びを重ねていきたいと思います。そして、何かしら豊かなものを社会に発信していけたらうれしいと思っています。

20060201 やさしい時間

 このところ町で見る車いす障害者の姿は珍しくなくなった。おしゃれな車いす障害者も多く、むしろかっこよさを感じる人も多い。車いすでも楽しめる環境を考えるとき、最近のシネコンと呼ばれる映画館は本当に快適になった。しかし、レストラン、喫茶店、うどん屋さん、ラーメン屋さん、そこに入ることすらも心から楽しむことは難しい。“私たち”と言ってしまえば健常者と障害者を分けているようだが、私たち健常者は何気なくそこにある環境を享受している。本当に何気なく、である。生後すぐ、まもなく、若くして、それらを享受できずにきた人の不自由さを思えば、町のあちこちのバリアを、感じて、心で見る、ことができる。


 今月、全身性障害者移動介護の講師を頼まれている。障害をもつ友人から9年間車いすを押しているのだから「自信をもって!」と肩をたたかれて引き受けることとなった。
 暑い日も寒い日も、長い坂道、どれだけ歩いただろうか?
 私の過度の頑張りや思い違いで怖い思いも何度かさせてしまった。バリアフリーな環境は実にありがたい。しかし、それは人間が創るものだというその意味は深い。バリアフリーな環境だけでは豊かになれない。環境もさることながら、そこに生きる人間の優しい心に触れることが、もっと心を豊かにさせることを私自身心に留めたい。今日も町で見る人はとても忙しそう。“やさしい時間”そういうおだやかな時へのタイムスリップは私にも必要だ。

20060101 木藤亜也著『1リットルの涙』幻冬舎文庫より

「1リットルの涙」観ましたか?昨年末、フジテレビ放送「1リットルの涙」は終わりました。
 木藤亜也さんは15歳で足がふらつき、痩せはじめるなど、身体に変調をきたすようになります。診断の結果、脊髄小脳変性症という難病であることが解りました。希望していた高校に進学しますが、障害が進み、1年で養護学校へ転校。その後歩くことが困難となり車いすを使用します。養護学校転校後は入退院を繰り返し、徐々に話すこと、書くこと、食べることができなくなります。
 1986年、日記をまとめた『1リットルの涙』を出版。多くの人に反響を与えました。
 1988年5月23日永い闘病の末、25歳の若さで永眠しました。


 彼女の日記には終始生きる意味を問うた箇所があります。
 人に役に立てることを願い続けた彼女の人生は、書くことで人に勇気と希望を与え続けました。そこに生きる意味を見つけた彼女の精神は、今も『1リットルの涙』という日記の中に生きています。失っていくばかりの人生で、それでも生きていこうとする時、「人に役に立つ自分」というものが「生きていく意味」の中で重要な位置を占めていることが彼女の日記からひしひしと伝わってきます。
 人は、人の心の琴線に触れ、そのことの真実に気づくことはある意味、とても辛い仕事ではあるけれど、そこから初めて歩き始めることが出来るのだと思います。金持ちだとか貧乏だとか、頭がよいとか悪いとか、美しいとかブスだとか、健常者だとか障害者とかそういうことではなく人間同士として・・・・・たとえ互いの人生換えることは不可能でも。
 一人では生きていくことのできない障害をもつ人は、自分の身体をどう動かすかということから模索しています。そして、何のために生きていくかは重要な、生きていくためのエネルギーになっています。亜也さんの日記は私達に多くのことを伝えています。
 何一つ自分ではできないけれど、亜也さんの精神は見事に最後の一息まで自立していたと、いえないでしょうか?「生きていく意味」のつかめない人にとって自立という言葉は外部からの強制です。これは健常者にも、障害者にも高齢者にも共通していえるのではないでしょうか。2006年、亜也さんが亡くなって18年になります。
 友人の一人が、・・・・・あのとき「私達がついているから卒業まで一緒に頑張ろうよ」と、なんで言えなかったのか・・・情けない友達です。あれから何年もたちました。が、私にとって過去のことではありません。そして亡くなった後も、何度となく亜也ちゃんが残してくれた言葉に励まされました。・・・・・
 これは友人からの20年後の手紙です。

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