〝大切なこと〟2013

   2013-1-1〜2013-12-1

 

2013年 12月 1日


先生だいすきやで!!

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もう師走です。
春になったら、かわいい花が咲きますようにと、
秋、忘れな草、矢車草、河原撫子の種を庭に蒔きました。
今、寒風に負けまいとわずかな光を目いっぱいうけて、
小さな命はけなげに力を振り絞っています。


春にはきっと色とりどりのかわいい花が咲きますよ。
本年も貴重な経験を幾つかしました。
支援NETの参加者が創り手となり、
毎回の企画を担当してくれました。
そして小学校の特別支援クラスの生徒たちと先生との出会い。
そして専門介護福祉士への研修。
それらからたくさんの学びをしました。


ボランティアだからこその報酬でしょうか。
知識と実践の重なりから答えを得ました。
懸命に頭と身体を振り絞りました。
そして、
あの「きしょー」「おえー」の生徒(6月の大切なこと)は、
いまは「だまれっ!」です。
それでも時折、指相撲をしようと指をだしてきます。


もちろん楽しいこともたくさんありました。
春に矢車草がたくさん咲いたことです。
生徒が「先生だいすきやで!」というときです。
母と弟と私との会話がしっくりいくときです。
友人と『八重の桜』の話をするときです。
カラオケサークルで毎月1回唄えることです。


来る年もよろしくお願い致します。

2013年 11月 1日


理想をイメージしよう

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病院の介護士が語った
感じている事、疑問や不安を出し合い
理想をイメージしよう・・・と
あなたが在宅に求めるものは?
あなたが地域に求めるものは?
あなたが医療に求めるものは?


介護の問題の行方を担うのは、私たち自身
老後について考えていますか?
現状と課題を見つめて
進んだことと、進んでいないことを見つけよう
時代の流れの中で、現在を捉える
高齢者としていかに生きるか   


古い自分から新しい自分へ
介護職の現場を見つめる
語りたい 語り合おう
感じたら動く、学んだら実行 
妥協はしない、協調しながらも前に進む
「新しい人」の方へ・・・・


皆で語った
親のこと
自分のこと
家族のこと
地域のこと
新しい人のこと

「新しい人」というのは、新約聖書のパウロの手紙にあります。
「エフェソスの信徒への手紙」は、イエス・キリストの教えの信徒とそうでない人たちとが一緒にいる土地、ユダヤ民族と別の民族が対立してお互いへの敵意を燃やしていた土地で、どのように教えを広めていったかをパウロが説いている手紙です。
パウロはイエス・キリストの教えを弾圧する立場にいたユダヤ教の学者であり、そこから一転して深く忍耐強いキリスト教徒になった人です。
キリストが、対立する二つのものを自分の肉体を通じてひとつの「新しい人」へ作り上げ、敵意を滅ぼし、本当に和解をもたらすために十字架の上で死なれた。そしてキリストが「新しい人」となり、再び生きて弟子達に教えを広めるよう励まされたことを、大江健三郎は人間の歴史の中で何より大切に考えていると語っています。また、これからの新しい人はできる限り大勢でなくてはならない、特に若い人たちに敵意を滅ぼし、和解を達成する「新しい人」になってください、新しい人をめざしてください、といっています。
この「新しい人」の意味について大江は、いろんな人がいて、それぞれのあり方に意味があるけれども、その中のひとつに「新しい人」があるのではなく、「新しい人」というのは他のあり方と比較できない、特別なものだと語りました。
そこでともかく、「新しい人」というのをしっかり胸にしまっておけば、あるとき本当に心から、ああ、「新しい人」というのはこういう人なんだ、と思い当たることがあると。
さらに教育の大切さを説いています。
著書の読み手の人たちに、新しい人になるための教育を自分で自分にするつもりで生きてほしいと。また教育は他者から受けるものではあるけれど、その土台にはこのような教育を受けたいと願うことがある。「新しい人」になろうと目指すこと、そして敵意を滅ぼし、和解をもたらすための「新しい人」になる自己教育をいつもめざしていってもらいたい、とあります。

『「新しい人」の方へ』大江健三郎著から 北川美子


2013年 10月 1日


新しい一歩

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支援NETは新しい一歩を踏み出した。
今月も参加者の中から創り手が生まれる。
病院の介護士が語る。
来月は地域の自治会のこと。
地域住民のひとりが語る。



誰もが気軽に話す。
誰もが気軽に返す。
どんなことでも素直に聴けて・・・
どんなことでも素直に話せたら・・・と、
私自身の課題でもある。


なかなか自分が開けられなくて・・・
自分のからに閉じこもっている・・・
会話にテクニックはいらない・・・
『素でもいいんだ!
そんなキャッチフレーズが目に留まった・・・


価値観や生き方が違う人とも、
その価値観を知ろうとする。
理解しようとする。
それだけでいいのだ。
それだけでコミュニティは広がる。


互いが有意味な存在になろうとする。
互いが有意味な存在を認めあう。
個人が自立している。
だからこそ人を尊重できる。
だからこそ紡ぎ合える。

2013年 9月1日


人は仕合せと呼びます ♪♪♪

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 なぜめぐり逢うのかを
 私たちはなにも知らない
 いつめぐり逢うのかを
 私たちはいつも知らない
 どこにいたの生きていたの
 遠い空の下ふたつの物語

 縦の糸はあなた横の糸は私
 織りなす布はいつか誰かを
 温めうるかもしれない


 なぜ生きていくのかを
 迷った日の跡のささくれ
 夢追いかけ走って
 転んだ日の跡のささくれ
 こんな糸がなんになるの
 心許なくてふるえてた風の中

 縦の糸はあなた横の糸は私
 織りなす布はいつか誰かの
 傷をかばうかもしれない


 縦の糸はあなた横の糸は私
 逢うべき糸に出逢えることを
 人は仕合せと呼びます♪♪♪    《中島みゆき 糸》


5歳になる支援ネットの創り手のMさん。
「あなたの素晴らしいところはこの場を続けてきてくれたことよ!」
「ジェジェジェそれだけ?」と心の中の私がささやきました。
それはついこの間のことでした。
私は、その言葉の重要さに気づいてなかったのです。
支援NETをはじめて11年になりました。
続けて来たことの意味がつかめないときが時々やってきます。
そんな時正直プチ鬱に悩まされます。
今までのことが全部無駄に思えるときがあります。
そんな時もうやめてしまいたい思いになります。


先日、ある支援学校の生徒が先生と6人で参加しました。
Mさんは生徒達とそれはもう楽しそうにお話しされていました。
「私ね、これまで障害のある人を偏見の目で見ていたわ」
「親友のお孫さんが知的障害だったのやけれど嫌な目で見ていたわ」
「この歳になって偏見の意味がわかったわ」
「あなたの素晴らしいところはこの場を続けてきてくれたことよ」
そんな会話がまた私に『前を見て歩け』と、肩を叩いてくれます。
参加してくれた支援学校の生徒達ありがとう。
あなた達が交わることで人に気づきをあたえたのです。
自分が偏見を持っていたと打ち明ける、Mさんお見事。
あなたのその素直さが皆に希望をあたえます。
そしてその気づきの『場』を育ててくれた皆にありがとう。


その気づきがこの荒んだ世に小さな光を灯すとしたら、
  織りなす布はいつか誰かを 温めうるかもしれない
  傷をかばうかもしれない ♪♪♪

こんど一緒にカラオケ行きませんか・・・

2013年 7月1日


専門介護福祉士(仮称)への道

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今、専門介護福祉士(仮称)の登竜門である介護福祉士ファーストステップで学んでいます。
『この研修は「尊厳を支えるケア」を実行するための役割と能力を備えた介護福祉士のキャリアアップ並びに、小規模チームのリーダー養成等を目的としている。』とあります。
研修を受けたばかりでこれからまだまだ続きますが、
日頃仕事をする中でどうなん?・・・と思ったことの答えが返ってきます。
また介護職員のリーダーとして職員または連携チームに伝わるよう、言語化を目指しています。



介護福祉士は今やたくさんいて、
介護職員の質の悪さがテレビや新聞また人伝えに聞こえてきます。
何が良い介護士で、質の悪さとはどういった内容なのか、
聞いてみるとなるほどと思うこともままあります。
報道等のあまりにもひどいものはさておいて、
どうすれば介護職員の質を上げることができるのでしょうか。
利用者ニーズと社会保険の枠組みの中での専門職としての仕事、
それらを調整しようとされるのですが、うまくいかないのが現実。
事業所は利用者のニーズに整合しようとしますが、
それはややもすると質を下げてしまうこともあるようです。
それはニーズという意味の捉え方もひとつにあると思われます。


日本介護福祉士会倫理綱領にはその前文で、
『介護福祉のニーズを有するすべての人々が、住み慣れた地域において、安心して老いることができ、そして暮らし続けていくことのできる社会の実現を願っています』とあります。


一つめに『介護福祉士は、すべての人々の基本的人権を擁護し、
一人ひとりの住民が心豊かな暮らしと老後が送れるよう利用者本位の立場から自己決定を最大限尊重し、自立に向けた介護福祉サービスを提供していきます』と。
その5つ目には『介護福祉士は、暮らしを支える視点から利用者の真のニーズを受けとめ、それを代弁していくことも重要な役割であると確認したうえで、考え、行動します』と述べられています。


暮らしを支える視点から利用者の真のニーズを受け止め・・・ ここがポイントでしょうか。
介護が必要となっても福祉ニーズの提供によってこれまでの暮らしが最大限続けていくことができる社会の実現にむけて介護福祉サービスの提供をしていく、と理解することができます。


福祉ニーズはこれまでの暮らしの続きにあり、
住み慣れた地域において安心して老いることができる社会の実現にあります。
暮らしはそれまでの暮らしの続きにあり、暮らしの変化は人を最も不安にさせます。
福祉サービスを受けて暮らしが一変させられるのではなく、
これまでの暮らしがどうあったのかに向き合う時、
真のニーズに接近することになると言うことでしょうか。

2013年 6月1日


きしょっ・おえーっ

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今年度から縁あって小学校の支援クラスの、
お手伝いをすることになりました。
イケメンのA君は3年生です。
私の顔を見るなり、「きしょっ」、「おえーっ」
そして私を軽く蹴ってきます。
それが今も続いています。

歳の差で許せる、とは表面上のこと。
マジでかなりショックなのです。      
『そんなら、来いひんぞ!』と、
言ってしまいたくなる気も・・・・
私も「ベー」と舌を出します。
不器用な私は返しようが見つかりません。


数日前から逆手をとって、
近寄ったすきにひょいと抱いてやります。
「もーっ、きしょいねん
私はめげず、彼のほほを両手でサンドイッチします。
「おえーっ」と言いながらも、
次の日もまた次の日も挑発するように近づいてきます。
私はめげずに、彼のほほをハグします。


6月初め、校外学習で電車に乗って、
少し遠方まで行くという説明を先生がされました。
『先生も行くん?』と彼が私に聞きました。
行ってほしいと言わんばかりに・・・・


深い訳ありの彼は、
今後どのように成長してくれるのでしょう。


2013年 5月1日


矢車草の思い出

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淡いピンクの矢車草が咲きました。
支援ネットはいま、花畑です。
昨年の晩秋、春には花を楽しめるように・・・と、
こんなにたくさん咲いたのは初めてですよ。
5月15日の集いには誰と語らえるでしょう?

貧しかったけれどピアノを習っていました・・・
帰り際に、ピアノの部屋から見える庭の矢車草を、先生が持たせてくれました・・・


そんなのどかな思い出のページ。
矢車草は、幸せな時間でした。



2013年 4月1日


ハッピーな人生のために

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ミモザの金色の花房が青い空を背に、
はじけるようにキラキラと輝いています。
『もう育てられないから』と友人から頂いた
クリスマスローズ、育て親の愛を引き継いで、
蕾をいっぱい付けて咲いてくれました。
モクレンや姫こぶしの蕾、
太陽の温かい光を受けようと、精一杯空に向かっています。
桜の堅い蕾も膨らんで、
もうすぐかわいいピンクの花を魅せてくれます。
春は自然の息吹が楽しみでもありますが、
勢いが強すぎて好きではないと言う人もいます。
あなたはいかがですか?


知り合いの家族に、成人しても働けない人がいます。
中学のときからの不登校でした。
私は彼を小さい頃から知っていて他人事ではないのです。
彼の同級生のお母さんと懇意にしている私に、
「息子が、『担任の先生の対応が悪かったのや!』と言っているよ」と、
それを知らされたのはもう10年を過ぎてからでした。
本当のところは“神のみぞ知る”・・・なのでしょう。
時間を巻き戻せたらと思うことは他にもたくさんあります。
あの時こうしていたらとか・・・
も一度やり直せたらとか・・・
消しゴムで消したい・・・
どうなるものでもないとわかっていてもそう思うことがあります。

娘が幼稚園の時、懇意にしていた娘の友達のお母さんが、
ある日突然、統合失調症になってしまわれました。
町内の役を共にした人が病を煩って入院しました。
『帰ってみえたら尋ねますね!』と、
そう言っていたけれど、その後認知症になられました。
施設に入られ、お見舞いにいっても私のことはわかりません。
友人のお母さんが難病にみまわれ、
好きな庭の手入れができなくなりました。
庭のクリスマスローズは彼女からの頂き物です。
鬱で自らの命を絶ったのも親しい人でした。
さまざまな理由で苦しんだ人、苦しんでいる人、克服した人、
この歳になるとそれらの人が元気だった頃からの人生を知っています。


ご近所の友人にパーキンソン病になった人がいます。
先日、某病院で、最先端のパワーリハビリを受けることになり、
彼女の奮闘ぶりを見学させていただきました。
日常の彼女のスケジュールは、
趣味など健康を維持するのに必要なことで詰まっています。
彼女からの誘いで、来週の日曜日から、
毎日曜日の朝8時に、歩く約束をしました。
『手を大きく振り、足を大きく出す』ように、
私はそれが出来ているかどうか、見張り役で付き添います。
彼女は自分のハッピーな人生のために、
どうすれば良いか、実に前向きに生きています。
私はこんなことでもお役に立てたら嬉しいです。

多くの人が地域での関係性創りは難しいと言われます。
私も嫁いだ頃、井戸端会議で「あんな物、捨ててもったいない・・」
私が出した大型ゴミを見た、近所の老婦人のお嫁さんから
『お母さんが〇〇さんと、こんなこと言うたはったよ』と、
その他諸々が耳に入り、もう何十年も前のことですが、
そのことがしこりとなって時々思い出させます。
いつまでもしつこいですか?そうですね。
しかし、友人に聞くとそれに似たことが、
ご近所の関係にはよくあるようです。
ご近所さんとの関係を大事にするからこその、
良い関係を積み重ねようとする前向きの、
建設的な言動が大切ではないかとつくづく思います。


これらはICFで言うところの、環境や個人因子に関わるものです。
こういうことの積み重ねが、その人のライフワークに影響し、
地域参加や地域での役割を、いかなるものにするかなのでしょう。
現在、ご存知のとおり高齢者が速いスピードで増え、
公共の施設などのハード面が追いつきません。
さらに高齢者を支える人たちの少子化で、支え手も無く、
これからは更なる自立重視の在宅ケアの時代です。
それぞれの地域のハード・ソフト面の財産や、
そこにある個人と個人の相互の関係性が問われます。
本当は何時の時代も大切なことは変わらないのですが・・・。
では、超高級老人ホームに入りますか?
私には無理です。


それでも、それでもハッピーな人生にしたいです。



2013年 3月1日


だから私もいややわ!

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バスの中での会話です。
「全員にベッドでの洗髪の経験をしてもらうって言ってはったね!」
「私ね、みんなの前で髪、洗われたらかなんわ!」
「髪が少なくなって・・・これって人間の尊厳に関わるよね!」
そう言う私に彼女は、
「私ね、DVだったんだわ」
「髪を引っ張り回されたその跡が気になって」
「だから私もいややわ!」
そんなずいぶん深刻な話が初対面に近い私たちを近づけました。


20数年ぶりなのでしょうか。
2級ヘルパーの資格修得講座に再度通うことになりました。
それには色々訳ありなのですが、ここでは語らないでおきましょう。
この日はベッド上で利用者さんの洗髪をするという設定です。
結局、生徒や事業所からの希望で
風邪を引いている等の理由があったら、
洗髪はしなくてもいいということになりました。
私たち二人は風邪を口実にしました。


今回こんなことで洗髪は免れましたが、
人の思いに触れることができました。
健常者は「人間の尊厳」を守るということを
普通は意識していないです。
普通はそんなことは考えないまでも自分は守られているからです。
それが守られない状況にいたら・・・と
考える機会を与えられました。
今回の洗髪の授業は私にとって深いものになりました。



施設実習はある老人保健施設に行くことになりました。
一日の職員の業務は本当に“大変”の二文字です。
ほとんどの職員さんがずいぶん年下で(当たり前ですね)、
かわいくも感じたり、また生意気だなと感じたり・・・
でも多くのことが許せるのが不思議ですね。
年齢のせいでしょうか?
しかしひとつ許せないことがありました。
職員に対してではないのです。
それは何に対してなのでしょうか?

利用者さんからの訴えから見える介護業務の現状です。
入浴介助の現状・・・
食事の風景・・・
居室の掃除・・・
排泄介助の実情・・・
配茶・・・
それぞれが流れ作業です。
そこから生まれる利用さんの訴え・・・


それらは洗髪の講習で免れた利用者の立場の経験を超えます。
私は今、年齢的に利用者の立場に近くなって、
昔以上に利用者さんの気持ちに添いたくなっています。
介護の仕事は大変です。
若いのに本当に「ご苦労さん」と心から思います。
でも、でもです、
何が悪いのでしょう。
良い介護をしたいと皆望んでいるはずですよね(たぶん)。


ICFは全人格的ケアを唱えています。
その理念は介護職を初めた頃には誰もが持っていたはず・・・
だからこそ大変な介護の仕事や福祉に携わろうとしたはず・・・
昨日、テレビで白熱教室のM.サンデルさんが語っていました。
ホールいっぱいの学生に東北の復興について、意見を出させました。
それぞれの意見は皆、違いますが言えることはひとつ、
皆がひとつになって東北の将来について考えたということです。
真摯に向き合ったということです。


福祉の現場もそうです。
「施設に入れたらありがたい、満床でなかなか入れへんねんで!」
「いやや!いうたらあかんで、かわいい年寄りにならな!」
「あの人アホヤナー、ありがとうって言うといたらええのに・・・」
「ここで職員のお世話になって、家に帰ったら嫁の世話になって・・・」
介護職への思いやりは必要です。もちろん!
でも、主体は利用者さんなのですよね。
本末転倒になってないですか?


将来私が施設の利用者になるかもしれません。
将来福祉のいろいろなサービスも使うことになるでしょう。
いやや!って言いたいときも聴いてください。
生きていてよかったと思えますように・・・
キャリアアップもできて長いこと働けるよ。
給料も高いけど就きたい人が多くて競争率高いよ!
だから頑張って勉強しよっ!
そう思える福祉の制度や人的成長に皆が向き合わねばならないです。

2013年 2月1日


目からうろこ

..

10年ほど前、品質の良い雨合羽を友人に勧められました。
そしてその買い物につきあってくれました。
合羽ごときになんで!と思うほど高価なものでした。
私にとってこの合羽はいまや私の生活を補う、
無くてはならないものになっています。


これがあるので寒い冬の雨も雪も快適にバイクでの移動が可能です。
良いものは本当にいいのだと今更ながら思います。
安いものでもいいものはいいと口癖のように言う主人に、
「この合羽があるから、雨のときも普通に動けるの」と、
永年の敵を討つように、この時とばかりに返します。


私はこれまで元気な身体がカバーしてきたことと、
貧乏性で、たまにしか使わないものにお金をつかう習慣が無く、
品質の善し悪しをあまり重要視してきませんでした。
今の年齢には派手になってしまった色の合羽に、
このところ「もう少し頑張ってね」と大事に思います。

先日,ある人から国際生活機能分類(ICF)を語ってくれませんか?
と私ごときに依頼がありました。
ICFは、支援NETWORKで2007年の五年前に取り上げた課題でした。
国立長寿医療センター研究所生活機能統括研究部部長の大川弥生氏に、5周年フォーラムに参加していただきたく手紙を書いていました。


数冊のICF関係著書を読んで、目からうろこでした。
赤面する思いですが、当時の依頼文を読み返しますと、
“介護士としての仕事に明るい展望を見た”、というものでした。
大川氏は国家公務員の立場から、私たちの願いは叶えられませんでしたが、
私たちは大川氏とコンタクトをとる中で多くの学びをしました。


話は雨合羽に戻ります。
このところ歳を感じるようになり、愛用の合羽が身にしみてありがたい。
友人のアドバイス無しには合羽はいま手元に無かったでしょう。
ここでICFの“環境因子”として合羽を位置づけてみます。
合羽によって、雨でも私は快適に目的地まで行く環境が整っています。


雨合羽という物的環境は、友人という人的環境にプラスされています。
これらの“環境因子”が私の“活動”を補ってくれて、
私は社会的な仕事に“参加”するという“役割”を果たせています。
ICFの考え方は、“障害”を個人の問題としてではなく、“環境”との関係で捉える考え方なのです。これは障害を持つ人のみでなく、全てのひとに適用してみてはどうかと思うのです。 
この続きは、次回にします。

2013年 元旦



みんなで良い年にしましょう

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昨年の暮れのこと、
早朝、歩いていて
空の星があまりにも美しいことに気づきます・・・
「良いお年を・・・」
の声の響き・・・
なんか懐かしい気持ちになりました。


星の明かりの中でも何かしら、
その人の空気は伝わってきます。
その人の人柄が垣間見えるときがあります。
いつものように
「おはようございます」。
「おはよう」と帰ってきた。


追い越して帰り道、
「良いお年を・・・」
声に笑顔がそえてあった・・・
私はいつものように
「お先に・・・」
同時に言葉が通いました・・・・


家に帰って家族に、
さっきの光景を話します・・・
「誰もがそうやったらいいのに・・・」と、
「何人かにおはようございますと言ったで」と帰ってくる。
私のすることが家族にも伝わっています。
心が引き締まります。


今年は良い年にしましょう!
みんなで良い年にしましょう!