〝大切なこと〟2005

   2005-1-1〜2005-12-1

 



20051201 1リットルの涙

『1リットルの涙』観ていますか?火曜日9時のテレビ番組です。
 15歳で脊髄小脳変性症という病と向き合わなければならなくなった少女の実話です。木藤亜矢さんは、中学3年生の時に身体の不調を訴え、その後、手足や言葉の自由を奪われながら徐々に身体の機能が停止してしまう難病にかかってしまいます。話の展開は、彼女自身の病の受け入れ(受容)、障害者手帳の交付、そして心の葛藤。
 彼女が養護学校行きを選んで転校するその日、教室で友だちにお別れの挨拶をしている場面で彼女はこの病気になったから家族や友だちの温かい愛情に気がついたと感謝を述べます。そして彼女がこれだけのことを思えるようになるのに1リットルの涙が必要だったと言います。友人達は彼女への様々な思いをこらえながら彼女を見送ることになります。そうすることしかできないもどかしさを感じながら涙で見送ることしかできませんでした。
 彼女のその日の日記には、「亜矢ちゃん行かないで」と言って欲しかった、と記しています。ここで彼女の流した1リットルの涙に本当に報いてくれるのは、「亜矢ちゃん行かないで」の一言だったのでしょう。それが言えない友人達の心の襞も手にとるようによくわかります。これからの彼女の日記にはどうつづられていくのでしょうか。
 病の当事者の心は、実際には想像でしか知ることはできないけれど、彼女をとおして少しでもその気持ちに近づくことができたらと思います。そしてそのことを土台として、福祉が頭(理論)でなく行動(実践)として一人一人の小さな行為が、大きな輪となり、形となるように願っています。そして社会がそういう私たちを支えられるものであるように築いていきたいのです。
 社会福祉は理論でなくその実践性にこそ意味があります。一人一人の実践をとおして、人の暮らしに働きかけていくことで人の自立的な生活を支援し、社会的な関係を生み出していくところに、共に創る社会という言葉がぴったり当てはまるのではないかと思います。人のもつ優しい福祉に根ざす心が、行為として表現できるそういう社会を築いていきたいものです。そして行為として現せる勇気を持っていたいと思うのです。

20051115 アンケートのご報告

 2005年の秋、中途障害者についてのアンケートを300名のみなさんにお願いしたところ、285名の方々から誠実なお答えをいただきました。回収率95%はアンケートの回収としては驚異的な数字だそうです。
 ご協力いただいた、くらしの支援NETWORK関係者のみなさん、経済短期大学のみなさん、看護学校のみなさん、文教高校のみなさん、消防署のみなさん、川島織物株式会社のみなさん、そして北裏町のみなさん・・・・・
 ほんとうにありがとうございました。
 たくさんの方々のおかげで得られたデータは、ただいま入力と分析作業に入っています。そしてすでに有意味な結果が得られつつあるようです。
 これらのデータはこれからの日本社会の有り様についての大きな指針になります。

20051101 マラソンとアイロン

 マラソンランナーは、ゴール前の観衆の声援を心温かい風と共に身体一杯に感じました。彼の満たされた思いは感動となって観る者に伝わってきます。彼は、他の人とのコミュニケーションがとりにくい障害の自閉症でした。
 先日、観た映画『マラソン』です。ちょうどその頃、軽度の知的障害をもつ高校生に介護技術を教えて欲しいと、ある養護学校から依頼がありました。この子たちに介護ができるのだろうか、という私の思いや不安は正直な気持ちでした。『マラソン』では、息子のやりたいことにトレーニングの機会を与えていく母親の姿と、母の思いに答えていく一途な彼の姿と、その織りなす二人の関係が鑑賞者の心をとらえます。
 彼は幼い頃から母と共に山登りなどで鍛えた脚を生かして市民マラソン大会に出場、上位入賞を果たします。応援する人たちは、彼のハンディを知ることもなく、ただ入賞者への拍手と声援で彼をたたえます。
 養護学校へ実習の打ち合わせに行ったところ、ちょうど担当する生徒が職業訓練に励んでいるところでした。
 カッターシャツに手仕上げでアイロン掛けしている子、機械仕上げしている子、大文字駅伝のたすきにアイロンしている子、布の種類によって濃度分けされたのり付け、洗濯・・・、それぞれ担当の仕事をこなしていました。
 この中の3人の生徒と先生一人がクリーニング師の資格試験を受けたばかりで、いまその結果待ちだそうでした。
 仕事ぶりを観ていると、クリーニング店の仕事にも負けないくらいの技術のある子もいるし、それにもまして彼らの目の輝きの真剣さに心を打たれました。
 この子たちの意欲が損なわれることなく能力を伸ばせるように手伝いをすることは簡単ではないけれど、それを支えることの出来る社会であり、そういう社会を育てていける私たちでありたいと思うのです。

20051001 国際福祉機器展

 今年も9月27日から29日まで、東京ビックサイトで第32回国際福祉機器展が開かれた。国内562社、海外16カ国・68社より25,000点にものぼる福祉機器が展示された。私は、車いすを使っている仕事仲間と研修や会議、レストランと、よく同席する。それで、テーブルについては業者よりも当の車いす使用者の次に詳しいつもりでいる。車いす使用者にとって、本当に使い良いテーブルは少ない、否、ほとんどなく、バリヤフリー、ユニーバーサルデザインとは形だけのものが多い、と常々感じている。
 そんなこともあるので今回、私の目を惹いたのは、天板が上下に可動して車いすの人にも快適に使える家庭用多目的テーブルだった。「これだ!」と思って実際横におられた車いす使用者に使ってもらった。が、下肢が充分に奥まで入りきらないのだ。これではパソコンの操作も、書類書きも、食事も、使い手の快適さにはほど遠い。業者は得意げに商品の良さを説明していたが、車いすの人が実際に使用を試しながら不便さをみせたら、すっかり脱帽してしまった。
 業者は何を観ていたのだろうか。25,000点もの多くの福祉機器商品は、実際の暮らしの中の人を観て創られているのだろうか、と疑いたくなる。テーブルを購入することにした人は、後で使いづらさを覚えても、それは買った本人の責任なのだろうか。
 福祉機器25,000点のカタログ集の表紙には「老人と障害者の自立のための」と書かれている。
 自立を支える福祉商品の創り手の心とはいかに・・・・・

20050901 気づくということ

 重度の脳性麻痺の障害を持つ彼女は、身体障害者施設ではなく、高齢者施設への入所までマンションでの一人住まいを頑張り通しました。
 暮らしの一コマ一コマのそれは、彼女の知恵と創造力が生み出したものでした。その積み上げた暮らしは、彼女にとっては在宅でこそ守られるものだったのだと今、想います。
 彼女と初めて出会った頃、私の何気ない所作で彼女の筋肉の緊張を高まらせてしまったものでした。彼女のような障害を持つ人に接することのなかった私には、彼女を理解するのにたくさんの時間が必要でした。
 高齢という身体の老化や心の平安を脅かす様々な出来事は、彼女のそれでも当たり前に生きていこうとする意欲の維持を現実のものとするのには、想像を絶するのだったと気づきます。
 人のその気づきこそが、「共感的理解」という社会福祉用語辞典にある言葉の頭だけの理解ではなく、社会を変えていく根源ではないかと、彼女は気づかせてくれたのでした。

20050701 みそ汁へのこだわり

 ベッドの上でも自分の創るみそ汁の作り方にこだわった彼女は、当時私と同年の37歳でした。
 25歳で子供を産み、そのあと進行性筋ジストロフィー症という病が発症しました。この病は筋肉の萎縮と脱力が徐々に進行し、歩行や運動が困難となる疾病です。やむなくの彼女の選択は、子供をおいて離婚して上京、単身の生活をすることでした。
 私が派遣されたとき、彼女の病はほとんど自分では身動きできない状態にまで進行していました。ベッドの横には元気だった頃の優しいお母さんと女の子の写真がありました。
 物の置き場所にはミリ単位でこだわった彼女。怒られまいと言われるようにしか対応できない私。介護士としてどこまで彼女を理解できただろう、と今でも想います。一人では身動きできない彼女は、夜間の不安からなかなか私を帰してくれませんでした。当時は夜間の派遣事業者はありませんでした。やがて、彼女は支援事業者との折り合いがつかず、郷里の親元にやむなく帰されました。その後の彼女が人生のなかで少しでも幸せを感じる暮らしをすることができたのだろうか、と思い出すたびに心が痛みます。今さらながらみそ汁へのこだわりは、彼女の生きる証であったのだと気づきます。
 家族の繋がり、友人の繋がり、地域の繋がり、愛が多いほど人は元気になれます。それらの関係を惜しみなく育てようと、私は今、遅まきながら思います。そして福祉はそれらを支えるためにもあるのだとつくづく感じるのです。

20050601 関係性ということ

 少しおもい、重い、思いお話しになりますが、15年前に私が介護士として初めて出会った車いすの青年のことを語っておきたいと思います。彼は障害を負って治療費に財産をつかいはたし、年老いた母親と団地の2階に住み始めたばかりでした。2階へは階段で上り下りするしかなく、ヘルパーの訪問する時間をのぞくと外へ出ることはほとんど不可能でした。障害者向け住居を申し込んでいましたが空き室がないようでした。
 ある日、母親の留守中に訪問客があり、あわてて玄関のカギを開けようとして車いすから落下、臀部に大きな傷をつくってしまいました。彼が外へ自由に出たいという思いはつのるばかりでした。
 アジサイの季節がすぎた暑い夏の日、彼は35歳の若い命を自ら絶ってしまいました。
 あれから15年の歳月が過ぎ、私も様々な人との出会いがあり、学び、今思うことは、福祉の制度が不十分であったということだけでもなく、彼が弱かったからだけでもないということです。地域の関係の希薄さ、人間関係の希薄さこそに本当の原因はあるのだと思えるのです。彼は団地に住み始めたばかりでしたが、永く住み慣れた地域でさえも関係は定かではないと思います。
 その関係は、お互いにお互いのくらしを尊重し合い、共によい関係を創り出すことにあるのだと、くらしの支援NETの場は伝えているのだと思うのです。
 折しもある女子高校の家庭科授業の講師依頼がありました。若い人たちに私の体験から何かを感じてもらい、そして私がまたそこから元気がもらえるような、そんな関係の築ける授業にしたいと心弾ませているところです。

20050501 あなたを大切にします

 白いアイリスの花が、雨上がりの日、支援NETに集う人々を和ませてくれました。その花言葉は[あなたを大切にします]。私にはこのページに文章を載せることで[人を大切にする]ことの意味を深く考えるよい機会となりました。自分自身に照らし合わせて、それがどういうことなのかを深く探ってみるのは必要なことですね。人は他者に認められ、必要とされる存在であることが希薄になると元気がなくなります。逆にこれらを見いだせる関係性の中では活きている自分を見いだせる。人が人に大切にされる関係性とはこういうことなのでしょう。そしてその中で自らのエネルギーを発していって、関係を主体的に創り出す存在となる。
 廃用性症候群で寝たきりということも言われますが、[人を大切にする]ことの意味のはき違えも原因の一つになります。「人は関係性の中でこそ自己実現していく」と心理学者フランクルも言っています。これからも支援NETに集まる人と共によい関係を築いていきたいとみんな願っています。

20050401 デンマークと民主主義

 先日「デンマークの高齢者福祉から学ぶ」の公開セミナーに参加しました。デンマークといえば「福祉の進んだ国」というイメージがあります。ノーマライゼーションを強く打ち出したことでもよく知られています。実際、一人ひとりの人権が尊重されていることが随所に感じられます。基本的人権を浸透させる過程で人々の意見を充分に聴くというシステム、物事の処理がごく自然に民主的に行われているようです。「民主的」とはどういうことなのか、その深いところの意味を私自身強く考えさせられます。
 デンマークの政策は、高齢者福祉の三原則「自己決定」「生活の継続性」「自己能力の活用」を重視して具体的に推進されます。日本の高齢者にこの原則をあてはめる時、幼い頃からの教育システムから見直していかなければならない距離を感じてしまいます。
 デンマークも財政的には厳しいようです。その状況にあってなお学ぶべき点は、より良い高齢者福祉をめざして常に制度を国民の合意で動かしてきていることです。さらにバリアフリーの町づくり精神は、歴史や価値観が異なってはいても私たちの参考になります。支援NETもまたみんなの自発性、自立性を問うています。デンマーク福祉にならって言えば、より良い町づくりは私たち一人ひとりの手にかかっているようです。

20050301 介護とコミュニケーション

 療養病棟に一人暮らす初老の女性。老いてはいるが美しい。しかし、彼女は情熱に生きた過去の思い出を全て失っています。そんな彼女のもとに定期的に通い、物語を読み聞かせてやる初老の男性がいました。語られるのは美しくきらめくような恋の物語。
 先日、映画『きみに読む物語』を観ました。老人性痴呆の彼女は、まぶしいような情熱に生きた人生を思い起こしていきます。物語の主人公であるアリーが今の自分と一体化した時、彼女はかつて命をかけて愛してくれた彼との関係をとりもどします。
 コミュニケーションは、人から人へアプローチされ、そのフイードバックによって双方向の関係が成り立ちます。その時こそ、コミュニケーションが[力]となって現れる瞬間です。この映画で、フィードバックはその関係性の中でつくられてゆくものであることがよくわかります。
 私達は家族関係,友達関係、社会的関係、様々な関係の中で暮らしを創っています。そしてその関係がよいものになるように願っています。これからも一つ一つ丁寧に心にとどくものを放っていきたいと思います。
 支援ネットでは4月から「介護とコミュニケーション」について学習を深めていきたいと思います。どうぞあなたもご参加頂いてたくさんの学びを共有しませんか?

20050201 介護予防という意味

 今、介護の方法が従来の「対象者を動かす」ための体位変換から「対象者が自分で動く」ための体位変換に変化してきています。
 この方法は、対象者が自分で動くのを援助するだけなので力はほとんどいらない方法です。全介助が必要な方でも、援助者に応えて動こうとするコミュニケーション力が働くことで、要支援者の主体性を尊重しながら、しかも援助者の負担も軽くなるのです。
 介護予防という言葉がすっかり市民権を得てきていますが、介護予防とはどういうことか。国の施策に流されるのではなく、しっかり自分のものとして捉える必要があります。
 その一つに新しい介護方法がどのようなものであるのか。その方法を学ぶこともよいチャンスなのではないかと思うのです。
「私はこう動きたいから、ここを支えて」というように言えたら・・・、本当は一番いいと思うのです。
「自分の暮らしを人任せにすることほど哀しいことはない」とは、くらしの支援NETWORK参加者の重い、思い、想い、一言でした。

20050101 ユニバーサルなこころ

 昨年夏、支援ネットのこの場所で西京消防署のご協力を得て、救急時の対応法として「いざという時の応急手当と心肺蘇生法」を学びました。人の介護を通して救急時の対応がいかに大切であるか知っている私は、地域の多くの人に知ってもらいたいと指導をお願いしました。講習の数日後、受講したそれぞれの方に京都市消防局長から普通救命講習修了証がとどきました。83歳の高齢の人にも、障害を持つ人にもです。受講すれば誰でも修了証はいただけるそうですが、何が大切かというと、高齢者も障害者も排除されることなく当たり前に受講することのできるユニバーサルなこころと場があるということです。
 そこには人間関係のバリアフリーがあります。その中で生まれる人間関係こそが今求められるものであると私は思うのです。それは様々な場で開拓していかなければならないものです。
 夏の終わりの地蔵盆では、若いパパやママと一緒に地蔵様のテントの中で子供のための応急手当を学んだことが印象的でした。

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