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〝大切なこと〟2012

   2012-1-1〜2012-12-1

 

2012年 12月1

忘れてきた思い





やっと年賀状を出す気持ちになれました。
やっと自分をまた活かそうと思えるようになっています。
でもまだまだですね。
何かの拍子に折れてしまいそうです。
でもようやく年賀状が書けます。


朝のウオーキングは続いていますよ。
今朝は歩き始めたとき、空を見上げると、
月あかりに照らされた雪が舞う景色、美しかったです。
帰り道,歩道は一面に白く輝いていました。
キュッ,キュッと靴が鳴るのが響きます。


朝ドラ観ていますか?
“純と愛”タイトルです。
人が忘れてきた思いがここにはありますね。
現実ではありえないと友人は評価します。
なぜ、私はこれまでに引き込まれるのでしょう。


歩いていると新鮮な思いがよみがえります。
年賀状の図案は矢車草にしましょう。
春にはいろいろな花が迎えてくれそうです。
クリスマスツリーを飾りました。
玄関にはリースも飾りました。

2012年 11月1

フォーラムの返信はがき





フォーラムの感想を書いたハガキが
参加者の3分の1ほど戻ってきました。


夏から始めた朝のウオーキングは続いてますよ。
でも、“おはようございます”が返ってこないおじさんに、
“おはようございます”と言えなくなっています。
やまびこが帰ってこないむなしさから逃げています。
何となく日常生活が全てそうなっています。


いを込めた10月14日の10年目の仕事・・・
実はしばらく精神とも不調でした。
10年間支援NETを支えたスタッフ達の、
充分に10年の労苦をねぎらえなかったのです。
私は本当に人を尊重していますか?
返ってきたハガキを見ると、
そんな私を察してか、
そんなスタッフを察してか、
多くのハガキからは10年間の活動に、
“お疲れさまのねぎらいの思いが見え隠れしています”


若い人の優しい気持ち・・・
友人の「ありがとう」の言葉・・・
このときこそ10年間やってきてよかったと思えます。
このときこそ10年間の楽しいことがよみがえってきます。
このときこそ明日を考えられます。


勝手ものですね。
人は認められてこそ前向きに歩けます。
でも、そろそろ前を向いて歩きましょう。
次の5年に向かって・・・
育てるものが確かにあるのだから・・・

2012年 10月5

支援NET「100回目の仕事」

 ----- 10周年記念市民フォーラムに寄せて -----





市民の平凡なおじちゃんやおばちゃんがフォーラムをします
地域のちいさな集まりを10年間育ててきました
その10年間の「100回目の仕事」です
世代を超えて「仕事」を考える集いの場を創ります
いつもの集まりに若いエネルギーをいっぱい重ねます
そこで未来にむけて何かを見いだそうとしています


思いは、出会いを生むのですね
コミュニティーホールで出会ったポスターの文章
そのことばが私の心を強く打ちました
いつかその言葉に出会いますようにと・・・と


  ---------〈仕事〉は〈人生〉と〈働きかた〉は〈生き方〉と
    背中合わせで、他の誰にも肩代わり出来ない ---------


あれから2年
私は、その言葉に私の仕事を重ね
介護を学んでいる生徒の仕事を重ね
障害を持つ人の仕事を重ね
年金生活者の仕事を重ね
高齢者の仕事を重ね
全てのひとの仕事を重ねていました


出会いがまた次の仕事を生み出しますように
ていねいに2012年10月14日を迎えようと思います
出会いがまた出会いを生み、途切れませんように
心を込めてこの日を迎えようと思います
そうすれば次の仕事がみえてきますね
そうすればまた出会えますね
出会いがまた次の仕事を生み出しますように


  ----- 人間の一番の大仕事は
   「自分をいかして生きる」ことなんじゃないか?-----


私もそう思うのです
でも一番難しいことでもあるのですね
それが見つからないから多くの人が迷っているのですね

出会いがそれぞれの大事な仕事を生みだす
そんな手掛かりになりますように
そんな語り合いになりますように
みんなで心を込めて場を育てましょう
ちいさなちっちゃな集まりから何かが育つ


支援NETWORKの100回目の仕事です



2012年 10月1日

おはようございます Ⅱ


朝歩いているといろいろな人に逢う
黒づくしの衣装で、スタイルのいい若い女性
「おはようございます」と私
耳を澄ましてやっと聞こえる声で「おはようございます」と彼女
声を掛けて悪かったような思いになる・・・


今日もまた彼女・・・
遠くから歩いてくる彼女を見ていた
ちょっと低い声で「おはようございます」と私
消え入るような、か細い声で「おはようございます」と彼女
声を掛けられるのが嫌なのだろうか?


今日もまた彼女・・・
こんなことを思うと歩くのも面白くないなーとふと思う
今日は“ぺこっ”と頭を下げた
彼女のようすは見えなかった
なんか落とし物をしたような気がした


今日もまた彼女・・・
昨日、母が「続けたらいい!」と言ってくれた
その母の言葉になんかフッ切れた
「おはようございます」と返ってくる声に温かさを感じた
明日も普通に声を掛けよう


声を掛けても無視する人について
「声を掛けられるのが嫌な人もいる、
そっとしておいたほうが」と、夫
「続けよし、そのうち気がつかはる」と、母
あなたはどうしますか?どう思いますか?
続けていたらそのうち・・・と
私は思いたいのです


夫が犬の散歩でアキレス腱を切ったのはもう5年前
痛い足を引きずり、犬に引かれて帰って来た
周りには誰もいなかったらしい・・・
もし誰か歩いていたら何かのカタチで助けられただろう
人がいたらきっと声を掛けてくれたろう


声をかけたり、かけられたり煩わしいと言えばそれまでだ
けれど、誰かに助けてもらうことがあるかもしれない
地域の希薄な関係も同じことなんじゃないかと重なる
閉じたこころを開こうと思えるように・・・
心に触れる言葉が湧き出たらいいな・・・


“寝坊してん!”と交わせるようになったおばちゃんがいる
大げさかもしれないけれど、こんなことから社会は変わる
温かい思いになる、清々しい思いになる
人が変わろうとするエネルギーが育つ
代償を求めたらあかん!と言う友人もいる


声を掛けても帰ってきたことのない男性が遠くに見えた
どうしよう。黙っとこうか?あまりひつこいと殴られるかも・・・
「おはようございます」と、頑張った・・・
・・・」声にならない声、えーっ、返えってきたんとちがう?
 家に帰って夫に得意げに話す。「諦めたらあかんねんで!」


京都市指定のあの黄色のゴミ袋を持って歩いている人がいた
「おはようございます」と私
彼もてれくさそうに声にならない声で返してくれた
どこにでも仕事はある
お金にならないけれど大事な仕事がたくさんある





2012年 9月1日

支援NETWORK100回目の仕事
 ----『自分をいかして生きる』を考える集い -----





このたび10月14日(日)支援NETWORKの100回目(10年)の仕事として、
西村佳哲氏(自分をいかして生きる著者)のファシリテートにより、
世代を超えて仕事について考える場を持つ機会を得ました。
テーマは『自分をいかして生きる』です。


これは現代社会において、どの年代においても、多くの人にとって、とても難しい課題です。
今回、幅広い年代の、互いのライフステージに触れることにより、自分をいかして生きること、
そして人をいかして生きることについて、
それぞれのながい人生をとおして考える機会になることを願っています。


支援NETWORKの参加者の多くは中高年です。
以前からこの大切なことのページに書かせていただいているように、
西村佳哲さんの著書からうかがえる思いや生き方に、
支援NETWORKの歩みを重ね合わせていました。

『〈仕事〉は〈人生〉と、〈働きかた〉は〈生き方〉と背中合わせで、他の誰にも肩代わりできない一人ひとりの〈生〉に直結している。そして人間の一番大事な大仕事は「自分をいかして生きる」ことなんかじゃないか?』(西村佳哲)


支援NETWORKの中にも、それぞれの暮らしに合わせた仕事の中で、『自分をいかして生きる』その生き方を感じさせてくれる人たちがいます。
他の人も、それらの人の暮らし方を知らず知らずのうちに、
少しづつ取り入れてきたのじゃないかと思うのです。
そういう人に出会えたり、そういう人と共に仕事ができたり・・・
そういうのって人生の貯金といえますね。


今回、私たち熟年世代が若い世代から学ぶこと、
そして若い世代が私たちの生き様から学ぶこと、
西村氏の心強いファシリテートによってそれそれが自分を開いて語リ、
学ぶ場になれば嬉しいですね。
そしてこの学びが当日だけで終わってしまうのでなく、
それぞれの人生の大仕事『自分をいかして生きる』そのことに繋がりますように。

2012年 8月1日

おはようございます

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朝、6時頃に家を出て、自衛隊駐屯地まで1時間足らずを歩きます。
丁度、山登りのときのように歩いてくる人が同士のように思えてきます。
『おはようございます』と声を掛けるのがなんとも清々しい・・・
けれど向こうから先には声を掛けられたことが無いのです。
今の社会を反映しているのでしょうか。


『おはようございます』の声が帰ってきました。
嬉しかったようです。
『毎日歩いてられるのですか?』初老の上品なご婦人でした。
『はい!またお会いできるといいですね』と言葉を返して別れました。
きもちよい風が吹きました。


犬の散歩だと犬を介してなじみになるらしいのです。
犬の名前は知っているが飼い主の名前は知らないという・・・
友人の犬ともだちの話です。


空き缶をヤミで収集しているおじさんに声を掛けました。
私:「おはようございます」
おじさんはびっくりしたようです。
おじさん:「おはようございます」少し言葉になっていません。
帰り道、作業が終わって汗を拭いているさっきのおじさんに、
私:「お疲れさま」と声を掛けようとしました。
おじさん:「あついなー」と待っていたように声が返ってきました。
こういうことの積み重ねでいいのでしょう・・・
これが友人と歩いている時でもできるといいです・・・
友人と話に夢中になっていても周りの人にも優しくねと・・・


ちょっと難しい話になりますが、
広井良典氏の『持続可能な福祉社会』の論述を思い出します。
2006年に書かれた著書ですが、これからの日本社会において、
『新しい関係性の構築』が必要だということでした。
実践は実に難しいです。


希薄になった人と人との関係性の構築は本当に難しいと常に感じています。
それは、何かの集団(会社、趣味の会、スポーツクラブ等々)に属しているうちは、感じないで済みます。
しかし、集団に属せなくなる要因が発生した時(退職、リストラ、身体的要因、交通手段が無い、いろいろな理由が生まれます)、
我に返るのです。

2012年 7月1日

救われる時

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その時々の混沌たる思いは、友人の言葉や著書の一文で救われるときがあります。自分が悶々と何かにとらわれている時スーッとそこから抜け出せます。
次の文章もそのひとつです。


  自分が社会に存在している意味がある、価値がある、そういうことを実感できないままに生きて
  いることは辛いことですから、皆それをいつも感じられるチャンネルを探していると思います
  が、「仕事」はそうした人との繋がりや社会の中での役割といったものを与えてくれる重要な
  メディアなんです。   西村佳哲


仕事を経済活動だけに捉えて、そうした活動のできにくい重度の障害者や心に病を持つ人、そして精神障害者、そして年金生活者及び高齢者が社会とつながろうとする時を考えてみます。
今の資本主義社会においてハンディのある人々が社会につながろうとする時、
とても大きな壁があります。


自分が社会に存在している意味がある、価値がある、という実感は、誰もが願うことだろうと思います。そういう思いがないままの暮らしの中で、人は『生きているだけで意味があるんだよ』と言います。それってそう思うように双方言い聞かせているんじゃないかなーと思います。


私はかつて在宅で植物状態に近い人と介護士として接したことがあります。踵や膝や臀部にできたそれはひどい床ずれをベット上で丁寧に洗います。
今は便利になって家庭での訪問入浴も最新の機器の導入によって可能になり、介護士の労力は格段に楽になったようなのですが、ある意味人的労力から生まれる双方が培える関係は薄くなったようです。


ある時、何の応答もない対象者さんからうっすら笑みのような応答のご褒美がありました。これは介護士にとって大きな力になります。『心にとどくいい仕事をしよう!』と思わせてくれる『態度』の泉のようなものです。『見返りを求めている』と言う人がいらっしゃると思いますが、人は双方の態度で元気になれるのだと思うのです。


ご家族にとっては日々応答のない植物状態の人を前にして、延々と先の希望のみえない介護が続く時、『生きているだけで意味があるんだよ』と心底言えるのはそれまでに培った互いの関係性があるからこそなんでしょう。
それまでの関係性があるからこそ現在未来があるのでしょう。


『仕事』を大きく捉えれば、人として人生の最期まで仕事がある、そう思える生き方やそう思えるチャンネルを持てることはすばらしい!と思います。
そして人間の究極の『仕事』はそこにあるんじゃないかと思うのです。

2012年 6月1日

空間の場と空気の場

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人はよく私たちの支援NETに、
他とネットワークしないとね、と言いました。
私はそのとおりだと言われるたびにそう思いました。


でも今、支援NETは私自身なのだと、
私自身に支援のアンテナがあるのだと、そう思います。
これは発信側であり受信側であり、その「場」は私自身であると・・・


これはそれぞれの人に言えることで、
それぞれが『場』であると・・・
それぞれが『場』を創るのだと・・・


場は『空間の場』と、人となりの『空気の場』、2つあります。

人は自分の育った環境の中でしかものが見えていません。
人は今いる環境の中でしかものが見えていません。
人は自分にとって都合のいい人が、いい人なのです。
人は絆、より良い関係性などときれいごとを言います。
でも・・・本当は自分しか見ていません・・・多くの人が・・・
私もそうなのだと、そう思います。

2012年 5月1日

障害者の『害』に思うこと・・・

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『先生!障害の害は害するやねんでー』
生徒の言葉に今一度考えてみました。


『大切なこと』はその態度がフリでなく本物かどうかです。
これは私自身も試されています。
自分自身がどうであるか、
その答えを知っているのは本当のところは自分自身です。
こんなことを書いて・・・と、本当はここから逃げたい私もいます。
私にもたくさんの課題があるからです。
でも『大切なことは?』と本当に向き会おうとすれば、
逃げてもごまかしてもついて回ります。


障害の『害』という字のことを考えてみようと思います。
障害という言葉には『害』という字を使います。
私は障害者と接することが多いのですが、特に障害という字を『障碍』とは書きません。
害は『害虫』、『加害者』、『傷害』、『迫害』、『災害』、それらどれをとってもいい意味のものはありません。
しかし、辞書には障害という字を『ハードル』とも書いています。
ハードルは制限とも訳します。


日常生活または社会生活に相当な制限を受けている人、と理解します。
障害者の害が障碍者と書いたり、障がい者と書けば障害者差別はなくなるでしょうか?
障害者の権利は守られるでしょうか?
問題はもっと他のところにあるように思います。
大切なことは『態度』です。
自らの偏見と向き合いどのような態度を示すかです。
障害の『害』という字を“社会的にも日常生活にも相当なハードルを余儀なくされている人”と捉えれば、私たちは現存する社会的なハードルを助長するような自らの言葉かけや態度に向き合い、私たちこそ社会を変えることができる第一線にいるのだと気がつかねばと思うのです。

2012年 4月1日

ごほうび

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浴室を改装することになってガス屋さんがきた。
何となく話してみたくなる青年だった。


「失礼ですがあなたで何歳くらいなのでしょう」
「もう40歳です」
「娘と同じ年頃ですね」
「そうですか」
「結婚されてますか?」
「はい、娘が3歳になります」
「かわいい年頃ですね」
「はい、とてもかわいいです。発達に障害がありますが・・・」
「そうですか。どのような障害ですか?」
「小脳に障害があって3歳ですがまだ話もできません」
「そう、お母さん大変ですね」
「お父さんもね」
「はい!」
素直な男性だった。
「あそこに置いてある紙細工はなんですか?」
「あれは教材なのです。奇遇ですね。いま春休みですが、あれは支援が必要な生徒達のためのものです」


彼は昼食を済ませて、ガス器具の点検に再び現れた。
私は用意しておいた絵本を彼に手渡した。
「これは成人した脳に障害のある人が書いた絵本です。これを出版した彼女のお母さんがこう書いています。『もう一度生まれ変わって子供を授かったらまたこの子と暮らしたい』そう書いています。大変だけれど頑張ってください」
「こんな大切なものもらっていいのですか?」
「はい!描いた人もあなたにもらっていただいたほうが喜ぶでしょう」
彼は玄関口で幾度も身体を深く二つ折りにして私に礼をした。
何とも清々しい気持ちになった。
私は青年からおおきなごほうびをもらった。

2012年 3月1日

「イチゴ」はレジ袋に入れる前に小さなビニール袋に入れてね。

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先日、大手スーパーに行ったときの事です。
脳性麻痺の男性でした。
年齢は50歳くらいでしょうか。
常にそのスーパーを利用している近くの人のようです。
その少し不自由な足と自由の利かない震える手で惣菜の容器を手にしたとたん、ふたが開いて唐揚げがひとつ飛び出しました。
そばにいた店員は関わりたくない様子でした。
男性は『入れて!』 『入れて!』と叫びます。
その必死な訴えに慣れていなかったら『怖い』と思うだろなと察しながら、ふたの開いてしまった唐揚げの入った容器を私が預かりました。
すると男性は、パックとパックの間に落ちた唐揚げをつかんで、私が預かった容器に入れました(まー、彼が食べるのやからいいか!と・・・・・)。


男性は、「ありがとうございます」と私にきちんと礼を言ってくれました。別れた後も気になって、その後ろ姿を見守りました。
レジに進んだ男性は、レジ係の助けで財布からお金を出してもらうように頼みます。コミュニケーションがとりにくいので、周りの人には彼の声が叫んでいるように聞こえてしまうのです。
そして今度は気のつかないレジ係に商品を入れてくれるように叫びました。
客も混んでいたため、困ったレジ係はマイクで警備員を呼びました。
警備員の対応は「お役目」という感じで、私には大儀そうに見えました。
男性は、イチゴを小さなビニール袋に入れてほしい事を、何度も『入れて!』『入れて!』と頼んでいました。・・・・・そしてやっと伝わり一件落着です。


なぜ、こんなにもコミュニケーションがうまくいかないのでしょう。
また、なぜイチゴをわざわざ人の手を借りてまでして、ビニール袋に入れる必要があったのでしょうか? 読者の皆さんはどう思いますか?
あなたならどうしますか?
あなたがレジ係だったら?
あなたが警備員だったら?
あなたが経営者だったら?
あなたが店長だったら?
あなたがこんな場面に出逢っていたら?
どうしますか? 答えてみてください。
自分の姿が見えてくると思います。


介護士としての私の初めて出会った障害を持つ人が、脳性麻痺のもう高齢にさしかかった女性でした。マンションに住んでいた彼女の起床の手伝い、買い物、食事準備、洗濯、入浴介助、掃除他の支援でした。障害のある女性が高齢になるまで『凛』として生きてきたその姿勢の奥底には、言うまでもなく計り知れない葛藤や決意や願望があります。
彼女の暮らし方、彼女の生き方、彼女のひとつひとつの家事へのこだわり、そしてそこには障害があるからこそ生まれる独特な暮らし方がプラスされます。脳性麻痺の彼女は発語の問題、筋緊張などで、障害を理解せずその不自由さを知らない人とのコミュニケーションは一苦労なのです。
障害者と接した事のなかった私とのコミュニケーションは互いに大変でした。
彼女はいざって室内を歩いていました。
私は、時間内にたくさんの仕事をしていこうと彼女の周囲を行ったり来たり、行き来します。とつぜん彼女は怒りだします。私にはなぜ怒っているのかわかりません。なかなか私に思いが伝わらないので、徐々に身体の緊張が強くなって顔の筋肉が硬直してくるのです。それが怒ったように見えるのでした。
彼女の言うには、『私の廻りを立って忙しそうにされると怖い』ということでした(彼女は立つことができないからよけいにそう思います)。彼女は私の所作を怖いと思い、私は彼女の表情が怖いと思うのでした。これが障害者と接した私の最初の仕事でした。
彼女は、『高齢になるまで施設には入らない』との思いを貫いて、高齢になってから高齢者施設に入所しました。そしてそこで最期のときを迎えました。それまでは一人でマンション暮しをしていたのです。


彼女との経験があるので、私には男性の言う「イチゴはビニール袋へ入れてほしい」も、きっとそうなのだろうと思いました。私たちが「イチゴはビニール袋に入れる」のとは違う、もっと暮らしに密着した深い思いがそこにあるのです。
もうなぜだか解りましたか?
これは小さなひとつの例です。
関わってこなかった人、関わろうとしなかった人の多くは『仕方ない!』とか『その人の運命や!』と思うのかもしれません。でも、これらの人が自分自身や、自分の兄弟姉妹や、子供や、親だったら、上手にコミュニケーションがとれて理解してくれる人が増えたら嬉しいよね、と私はそう思います。
だからできるだけ声を掛けてください「何かお手伝いしましょうか?」と。


「イチゴはビニール袋へ入れてほしい」の真意は、男性がイチゴを『レジ袋から出すとき』、『冷蔵庫に入れるとき』、持ち運ぶときに、スーパーで唐揚げを落としたときのように筋緊張で容器からイチゴが飛び出さないようにするためなのです。

2012年 2月1日



メッセージ

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お盆のお墓参りを済ませた彼は、命と引き換えに世間との縁を絶ちました。
よく「心は熱く頭は冷たく」というけれど、吹っ飛んでしまうこともあります。
数日前、私たち二人のヘルパーは、『では、〇〇曜日までさようなら』と言って閉めかけた玄関のドアから彼の瞳を見つめ、名残惜しく別れました。
今思えば、この日は不思議と彼の眼差しが私たちに《さようなら,ありがとう》と語っていたように思えるのは、彼が私たちに遺してくれたやさしい気持ちでした。
20年も前の出来事でした。


その後も何度も障害のある人に出会って、代弁者としての私の口から溢れ出る言葉を、この大切なことのページをも借りて伝えてきました。
20年前、まだまだ福祉サービスは整っていませんでした。
彼の住む市営住宅の2階から階下に車いすで降りるため、階段へステンレスの2枚の板を置いて、そこへ車いすを滑らせ支えて降ります。買い物から帰って来て、再び2枚のステンレスの板を置いて車いすを支えて押し、駆け上ります。
あるときはタクシーの運転手に頼んでやってもらったようです。
彼はよく、入院していた病院の待合室に出かけました。
『誰かに会いたい・・・』ここに彼のメッセージがあります。
20年後の今、福祉サービスは多種多様になって生活のしづらさはまだまだとしても、一定程度は整ってきたといえるでしょう。
かつて彼の抱えた不便さは今はもう見当たりません。
けれど孤独死は増え続けています。
どうしたことでしょう。


彼は何故命を絶たねばならなかったのでしょう。
どうすれば防げたのでしょう。
今も自問自答します。
彼はいつも病院の待合室に行っています。
ここにひとつの答えがあるように思えてなりません。
いま生活は整ったけれど、引きかえに、なくしてきたものがあるようです。
『介護は専門職に、心は家族や友人や地域の人に』とも言われ、介護の社会化はこれまで福祉が目指してきたものです。


たった今、回覧板が廻ってきました。
『地域コミュニティー活性化推進条例・地域コミュニティーってなに?』の厚紙のカラーの印刷物です。
地域コミュニティーの仕組みづくりのようです。
民生委員も、老人福祉委員も、町内会の住民も一人の人として動くことが大切で、ボランティアも仕組み化するとサービスに化けます。
サービスはどのくらいならちょうどいいのでしょう?
サービスがいきとどいたら『介護は専門職に、心は家族や友人や地域の人に・・・』
そんな具合になったでしょうか?
友人が言いました。
『都合のいい人になったらあかんよ。多くの人は自分にとって都合のいい人が「あの人はいい人だ」と言う』と。


彼の遺したメッセージを、無駄にしたくはないと思います。

2012年 元旦



デイケア(介護保険のサービス)での出来事

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新婚のデイ職員『毎日おかずなににしよか困るワー』
A利用者:『水餃子で鍋をしたらおいしいよ!』
娘のようにかわいい職員に皆口々におかずのアドバイスをする。
B利用者:『餃子は朝鮮人の食べるものや!』
A利用者はむかっとする。
このような言葉のやりとりで廻りの人たちの空気はどうなる?
これを読んだあなたはどう思う?どう感じる?


私は歳をとっても人間関係なんやな−と人間関係の難しさや、大切さを思います。
高齢になってこれまでの人生の玉手箱に何が詰まっているのでしょうか?
玉手箱を開けたときの浦島太郎のあの煙が、
周りの人を幸せにする煙であれば素晴らしいのにと思います。


その毎日のおかずの話に加わっていた母はむかっとした一人でした。
友人や家族にこんな話の展開になったら、
『どう返す?』『どう感じる?』『どう対処する?』と考えてみてもらいました。
もし、デイ利用者に韓国の人がいたら?
もし自ら差別意識があったら?
もし自分が韓国籍だったら?
そしてその両方に当てはまらない利用者に至っても
その場の空気をどうすがすがしいものに変えていけるだろう。
主人公はあなたです。あなたも考えてみてください。


この問題は『差別』という課題だけではなく、そこら中に散在しています。
友人は『朝鮮人やったらあかんのか、と言ってやれ!』といいます。
これもありですが、周りをすがすがしい空気に変えることはできません。
こんな時、廻りを一変する煙の出る玉手箱が欲しいものです。


介護保険のサービスのデイケアに行かない人、行けない人、
行きたくない人、楽しみにしている人、いろいろです。


なぜ行けないのでしょう。
なぜ行きたくないのでしょう。
はじめは習い事に行くように、
映画館に行くように、
体操教室に行くように。
お昼ごはんを食べに行くように、
温泉に行くようにデイケアに参加できたらそれでも良いと思います。
そんないいものじゃないよ!と言われそうですね。


社会に出にくくなった高齢者さんが、
ただ一つ社会とふれあう機会になるとしたら・・・
そして我が家に帰ったとき顔がほころんでいたら・・・
またデイでできた友達に会いに行こうと思えたら・・・
デイの娘達、息子達にこれまで貯金しておいたことを、
教えてあげることができたら・・・
そこで自分の居場所が見つかったら・・・
そこで自分の役割ができたら・・・
デイも関わり方次第なのだという気もします。
そんなデイの一日を利用者が創り出せないでしょうか?


ただし、デイに限ったことではないと承知しています。
当たり前ですが日々のくらしは自分のものです。