くらしの支援NETWORK

 
Flash Report
[ 続・あなたの老後の生活は在宅、施設、病院? ]

 



2011.11.17
 〝続・老後の生活は在宅,施設,病院?〟

 9月の感想文を糸口にして・・・・・
   参加者の声をつむいで





くらしの支援NETWORKでは
 参加者とは〝場〟を創り出す当事者のことです
 たくさんの当事者のみなさんに
 ありがとうございました







■ 北村美子
熱い思いがずっしりと心にしみてきた時間でした。
『あなたの年老いてからの生活は在宅、施設、それとも病院?』何とも答えようのない課題です。今まで、元気に暮らして来た母が入院、手術、介護保険申請、親しくしていた友人たちの親が入院、手術、認知症。
どうしたらいいのか?戸惑い不安、それぞれの家族の複雑化があり、心を痛めています。その背景に兄弟などの暴力、経済的なことが含まれます。
楽にスムーズに歳を重ねて生きてきた人たちが、その最終の暮らしがどうして守れないのかと思ったりしています。もうすぐそこに行くものとして・・・・・
毎日の自分の与えられた暮らしを
  ため息をつかず・・・・
  よそ見をせず・・・
  愚痴を言わず・・・・
毎日の自分の与えられた暮らしを
  ひたむきに・・・
  ポジティブに・・・
  コツコツと・・・
“終わり良ければすべて良し”につながっていくために!
自己磨き?自己改革?
『まだこんなこと言ってんのかい?人生半分以上過ぎたのに!!』 もう一人の私がつぶやきます。




■ 島田和子
介護の話、皆さんの意見が聴けて勉強になりました。
同じ課題であっても立場や年齢によっても違うし・・・理解は出来るけど共鳴できない微妙な違い。
マズローの話を聞いて納得が出来ました。(^-^)/


子供の頃から介護を必要としていた私にとって、介護は人生そのものです。食べて寝て排出をするだけの毎日は虚しくて、自分は何のために生きているのだろうと悩みました。(T_T) 複雑な思いもあるので・・・文章にうまく表せません。m(_ _)m
健常者が普通にしている食べて寝て排泄することにも気をつかいます。 まして、自分のしたいことや夢を実現しようと思えば我がままとなります。 介護する側にとっては自分のことをして・・・人のために貴重な時間を割くのは大変だと思います。そのギャップがあるので遠慮をしてしまいます。 共通する部分があるときだけ思いが実現します。(?_?)
でも生きて行くための食べて寝て排泄することは最小限、必要不可欠なことです。(>_<) だから健常者の理解と思いやりは凄く嬉しいです。


この間くださった北川さんのメール------
「健常者は楽しいことを手に入れやすいので、少しの楽しいことにマヒしています。健常者が多くのものを失ったとき、様々なことに気づくのでしょう。そういう意味で障害をお持ちの方に学ぶことが多くあります」という言葉に感動をしました。嬉しかった。(^O^)/


健常者はする側なので、いろんな体験や経験をされて、介護をして来られた人はまた自分の老後は違った思いがあると思います。 学ばせていただきたいです。(^-^)/
私の願いは最後まで人間としての尊厳を持って接していただきたいと思っています。f^_^; いつも企画と配慮をありがとうございます。




■ 山田俊哉
すごく難しいですね。
マズローの5段階で、すごく解ったつもりだったのですが、なんせ付け焼き刃の知識で、未だにもうひとつ理解できずにいます。
もう少し時間をかけて自分で考えてみたいと思います。




■ 橋詰ひとみ
「年老いてからの生活・続編」、話ても話ても尽きないですね。真っ直中?の森さんの、真に迫ったご意見が聞けなかったのが大変残念です。自分のいま現在から先の事は、良きにしろ、悪きにしろ分かりません。只先に人生を進んでいる経験者の方々から、貴重なご意見は、重みがあります。いろんな事で気付かせて頂きます。
マズローの5段階欲求説、生理・安全・集団・承認・自己実現すべてが、満たされている状況は、取りあえず?幸せと呼ぶのでしょうね。その状況の中にも紆余曲折はあるのでしょうけどね。


横道にそれるかもしれませんが、会社人間の定年後の男性を想像しました。最近、年配の友人方々から、ご主人(65〜85歳)の愚痴をよく耳にします。会社にいる時は、5段階すべて満たされていたけど、定年後は、安心・安全から先に進めなくてもがいているのではと思ってしまいます。もちろん充実されてる方もおられますが、そんな方の奥様は愚痴が少ないはずです。
99歳の日野原重明先生(医者)は、来年の予定、再来年の予定と書き込み、命を大事な時間と考えておられます。きっと満たされた時間を愛しく思っておられるはずです。京都新聞の「老いを旅する」のコラム欄で、老後は死んでから-------と書いてあったのには思わず「あっぱれ!」と拍手しました。
今は、いろんな経験をし、いろんな話を聞かせて頂き、私なりに心にたくさんの宝石を詰めて、過ごしていきたいです。健康でいたらぎりぎりまで在宅できるはず。それも努力。感謝する事も努力。後は川の流れの様に、素直に受け入れるしかないか。みなさんの貴重なお話、大変勉強させて頂きました。ありがとうございました。




■ 堀川優
敬遠されがちなテーマに向き合う姿勢をたのもしく想いました。むかしむかしある障害者団体で、同様のテーマで話し合ったときには参加者がありませんでした。
当時は何もなくて、みんな混乱していました。
ある時、ブレーンストーミングという自由な発想の場を企画したとき、ようやく221の意見が集まりました。内容は介助、排泄、制度、社会環境、所得、医療、家族、孤独、就労・・・、あまりにも多岐多様でした。
ざっと分類しただけでも19項目になりました。
おなじ障害をもっているのに、互いの意見には無関心な様子でした。この言葉たちをどう考え、どのように整理すればよいのか、途方に暮れました。


今回のテーマは〝展望〟です。
展望するには自分の立ち位置を知る必要があります。
むかしむかしの私たちは、自分たちの立ち位置がわからなくて道に迷っていました。
地図やコンパスと同様、道具としてマズローの欲求段階論は手がかりになるかも知れません。いま使われているニーズや自己実現という言葉は、この説からの引用といわれています。
でも道具は道具、行く先を照らしてくれるものではありません。
行く先を照らすのは、自他の相互作用から生まれる〝他性なるもの〟のほのかな光がたのみです。こうした議論の積み重ねが蓄電池となって、やがて行く先をみせてくれることになるのではないでしょうか。

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