HOME > 場のレポート集 > Flash レポート20120118

  

高齢になるということは、
これまでの人生を、ある意味、
人生集大成の舞台なのかもしれないと、
ふと思います。
若いときに何を大切にしてきたか?
何を育ててきたか?
舞台は、もうすでに幕があけました。
すべてに物語があるように、
くらしの支援NETWORKにも・・・
十年間の物語を紡いできた糸に、
お礼と報告と提言の糸を織り込んで、
100回記念を創るプロジェクトが、
はじまります。

第1回から第30回までの歩み

2002年10月〜2005年7月

 


















Oさんは、『支援ネットのような、このような場はかつてなかった』と語られました。
『ほとんどの会では利害損得が絡んでいる』
『100回を終えても続けてほしい』
私はとても嬉しかったです。
Oさん『このような会を立ち上げられた経緯が知りたいです』
私『支援ネットの5周年フォーラムで語ったとおりですが・・・もう一度お話しますね』
私は20年ほど前の私のライフワークから語りました。
だいぶ深刻な話になったかなと思いますが、必要だと思いました。
Oさんは自身の家族のことも語りはじめました。
同じ地域で身内を語るのは並大抵ではないと思いました。
私は支援ネットの責任者として、語らないと・・・の思いがあります。
しかし、Oさんは黙っていても許されたのです。
何が彼をそうさせたのでしょう。
支援ネットのこの場が成長しつつあると感じました。


私『私たちはOさんが語ってくれたことで多くを学んだと思います。
なかなかこういう学びはできないと思うのです。大切にしたいと思います。』


聴いた私たちが、それを、どのように孵(かえ)すかです。

北川美子




















今日はありがとうございました。ずっとしんどい思いされていたんですね。
私なりに感謝し、私なりに出来る事はしてきたつもりでしたが、まだまだ成長できてなかったようです。
100回記念は、やはり節目なので、区切りになにかしたいですね。
私は、人に発信とか、いうより自分が模索状態、雑念状態、なので、堅苦しくない状態の中で、一呼吸し、今が良い状況で、その積み重ねで、地味でも進めたら良いなと思っています。すみません、たいした意見も無く。
帰りに、北川さんが100回記念のことを語られていたこと、次回お聞かせ下さい。

橋詰ひとみ



















私も思春期は自殺を考えていました。
9才のときに発病したのですが10才のときには激痛で寝返りもうてませんでした。
苦痛だけで自殺は考えないのですが・・・精神的な苦しみが大きいです。自分の生きている意味が見つからなかったのです。
この世に必要のない無価値の人間だと思ったことです。
幸か不幸か身動きが出来なかったので自殺はできませんでした。
私が初めて親の介護なしに他人と喫茶店に入ったのは25才のときです。入院中でした。嬉しかったです。
親は私でなくても自分の子供は愛するし介護もしてくれます。
他人は違います。私(島田和子)の人格を認めて付き合ってくれたのです。嬉しかったです。


支援ネットは、いろんな人が参加されているのが素敵です。
みんなが同じ意見で統一されていたらつまらないし・・・飽きてくると思います。
私は誰の代わりもできないけれど、自分の意見や思いは伝えられます。
幼稚であっても体験していないことや分からないことは言えませんが・・・感じたことを正直にと思っています。
私が北川さんと同じこと(障害者の立場)を言っても誰も感動をしません。自分の立場、しんどさを理解してほしいと訴えているだけです。
北川さんの思いで聞いてくださるところに温もりがあるのだと思います。
10周年記念は心の通い合うような雰囲気で…抽象的で具体的には思いつきません。又、考えてみます。

島田和子















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